葉っぱのフレディに自分の姿を見る
つい先日の朝刊のコラムにこんな記事が載っていました。
『東京都知事選で選挙ポスターが物議を醸している。品位のない掲示手法は論外だが、九州では投票を呼び掛ける選挙啓発ポスターが話題になった。問題視されたのは「他力本願知事・ほかだよりひこ」という表現だ。良くない知事の例として挙げたもので、鹿児島市の本願寺鹿児島別院などが「他力本願の使い方が本来と違う」として強く抗議。これを受けた県選管は「人まかせ知事」に修正した。おやと思われた人もいるだろうか。平成十四年に企業の「他力本願から抜け出そう」という新聞広告が騒ぎになったことがある。元は仏教用語で阿弥陀仏が衆生を救いたいとする願い(本願)のことだが、転じて辞書に「他人の力をあてにすること」と列記されている。その意味しか知らず、日常的に使う人が多いのだ・・・』
こうして本来の仏教用語が分からず世情の考え方にすりかえられられるのは残念です。しかし世間の物差し(世間智)しか知らず仏法(真理)を聞き学ぶことがない人たちが使用するのでは仕方ないのかもしれません。
肝心なのは仏法を志す人(求道者)は、仏教の言葉は正しく使用し、間違って使用する人たちには何度でも声を上げ続けることが大切でしょうね。
「他力」は「自力」に対する言葉ですが、「ここでは阿弥陀仏の力(はたらき)を意味します。「本願」は阿弥陀仏が、善悪、大小を問わず、すべての生きとし生けるものを浄土に往生させようとする誓願のこと。つまり、他力本願の意味は、自らの修行の力ではなく、阿弥陀仏の本願の力によって仏に成る(目覚める)ことであります。
こう説明しても「分かりました!」という人はまずいないでしょう。人間の進化の過程で得た「ことば」は感情や思想を伝える表現方法で、他の生き物にはないツールですが邪推や憶測を伴うものでもあります。
「他力」・「本願」・「阿弥陀仏」といった言葉をどんなに説明したところで世間智で生きる私たちにはなかなか体にストンとおちないのです。
そこで小児科医である駒澤勝さんの「目覚めれば弥陀の懐」の本に出会えた中身を一部紹介し、他力本願について考えましょう。
まず目に引いたのは「誤解している『葉っぱのフレディ』の章」です。数年前にブームになった絵本で、森繁久彌さんの朗読を収めたCDも発売されました。深い哲学的思想がなかなか的確にわかりやすく説明されていて私もとても良い本だと記憶しています。
おおよそのあらすじはこうです。
『一本の大きな楓の木があって、そこに何千枚もの葉っぱがついているが、その一枚がフレディである。同じように葉っぱであるダニエルやベン、クレアらとともにフレディは春に芽が出た。つまり誕生した。夏には青々とした立派な大人の葉っぱに成長する。太陽の光を存分に浴び、さわやかな風を浴びてダンスを踊り、楽しく過ごす。そして秋が来ると他のどの葉っぱともまた違う、フレディらしい美しい黄金色に身を染めて葉っぱの人生を謳歌する。しかしいよいよ秋が深まるとともに、自分の死期が迫っていることを察知し、行く先を心配し不安に思うようになる。友達の葉っぱで物知りのダニエルが、「落葉した後、また木の栄養となって翌年の葉っぱを支えるのだ」と諭してくれる。そして冬の到来とともに、友達の葉っぱは次々に落葉する。つまり死んでいく。そして雪の多い冬のある日、雪の重みに耐えかねて、ついに落葉して一生を終える』という物語です。
この本ではフレディは擬人化されて、一つの生命単位として描写されています。ダニエルやクレアなどそれぞれの葉っぱは一つの生命体であって、それぞれ、その命を生きているように描かれています。実はこれは間違いであると駒澤先生は言います。この場合、一本の楓の木全体がひとつの生命体であって、何千枚の葉っぱがそれぞれ一つの生命体であるわけではない。つまりそれぞれの葉っぱに統合主体があるのではない。葉っぱの一生は大きな楓の木の命の営みの現れに過ぎない。フレディが春に芽が出るのも、そして柔らかく薄緑色の葉っぱから、夏に青々として骨格がしっかりしてくるのも、次第に人の手のような形になるのも、秋に紅葉するのも、フレディが勝手にそうなっているのではない。楓の木がそうしている。フレディがそうなるのは楓の木の性である。楓の木はそういうものである。葉っぱは次元が一つ上の楓の木の統合主体に統合されているのであって、自主独立ではない。それなのに、フレディは「自分は一つの自主独立の生命体」と思いこんでしまっている。楓の木と無関係に自分が存在するかのように思っている。自分が自分の力で変化し、自分の力で存在している自主独立の生命体だと思っている。もしフレディがこの誤りから目覚めて、「自分は葉っぱの命を生きているのではない、楓の木そのものだ」と気づいたら、今までとは全く別次元の世界が広がることになるはずである。
さあ、皆さんはこの話から何かを感じ取れましたか。よく考えてみてください。