メラノーマの続き
日本臨床皮膚科医会の三ブロック合同学術集会というのがありました。今回の担当は北関東信越ブロックということで信州大学を中心とした先生方の講演でした。
その中でメラノーマに関する話題が興味を惹きました。ここのところ同様な話題が続いたせいもあるかもしれません。
皮膚悪性腫瘍の治療薬は昨年より数十年ぶりに新薬が次々に上市されるようになったとのことです。
従来皮膚癌は、骨肉腫などと同様に希少癌とみなされ、他の癌と比べると認知度も低くさして話題にもなりませんでした。しかし高齢化もあって急速にその数が増えています。
特に70代、80代ではその傾向が著しく今後も更に増加していくだろうと言われています。
皮膚癌の頻度は基底細胞癌がトップで24.9%、有棘細胞癌が16.3%、日光角化腫が15.9%、ボーエン病が13.9%、悪性黒色腫(メラノーマ)が11.4%、悪性リンパ腫が9.4%、更にパジェット病と続きます。頻度ではメラノーマは下位の方ですが、その悪性度、診断の難しさ、重要性からいったらやはり気になる皮膚癌のなかでトップです。
メラノーマに関しては先日のブログにも書きましたが、治療法は夜明け前というように次々に新薬が開発されつつあるようです。
この進歩の著しい医学の世界の中で一寸びっくりしたのは1986年ダカルバジンがメラノーマに使用されて以来、20数年來、大した抗がん剤の進展がなかったということです。当時大学ではDAVフェロン療法、シスプラチン療法を行っていましたが未だそれは変わっていないのです。しかも欧米ではメラノーマに対する化学療法は効果がないとまでいわれる状態だそうです。
その中でやっとイピリムマブ、ベムラフェニブ、ダブラフェニブ、トラメキニブといった新薬がメラノーマに使われ効果が確認されてきているそうです。
イピリムマブは免疫力を高め、ベブラフェニブはBRAF変異という遺伝子の変異があるメラノーマにはよく効くそうです。
従来ドラッグ・ラグといわれるタイムラグがあり、海外の新薬がなかなか日本国内で使えなかったのですが、すでにこれらの薬剤は治験が始まっているそうです。
ただ、やはり早期診断、早期治療は必須です。
その点で、その後のダーモスコピーの講演もためになりました。
ダーモスコピーは虫眼鏡と顕微鏡の中間のような器械で微細な皮膚の表面からその直下の変化も見え、カメラ、ビデオにも記録できるものもあります。
我々のように皮膚科修行時代にその器機がなかった世代では、すんなりそれに馴染みません。眼でみて、虫眼鏡でよくみて病理組織でよくみればそれで十分という意識が心の片隅にあるかもしれません。そのような人は海外でもあるようで、専門家にダーモスコピーはあえて必要なのか、という投書があったそうです。その回答に次のような言葉があったそうです。
ゲーテはいいました。 Man sees only what he knows. と
ダーモスコピーは新しい分野で、画像も千差万別、表現方法、用語も専門家によって様々です。メラノーマも本当に難しい例では専門家も分からない例もあるそうです。
ただ、この技術によって不必要な手術も減り、癌の診断力が飛躍的にアップしてきたことは事実です。
各地の皮膚科医会でもダーモスコピーの勉強会、講習会が盛んです。
千葉県の皮膚科医会でもダーモスコピーの勉強会が始まりました。難しい症例は大学などの専門機関にお願いするとしても普段からそれ専用の目を養っておく必要性を感じました。
奥多摩の一日









中原寺メール11/22
【住職閑話】~ご恩おもえば
一年の総決算と位置づけている「報恩講」が、例年通り昨日、一昨日と二日間にわたり勤め終えて、ほっと一息ついています。
お寺の使命とは何か?それは何といっても仏法を人びとに伝えることです。ですからあの人が参ってくれた、この人は参ってくれなかったとどうしても気になってしまいます。お寺を預かる僧侶の身として、仏さまの教えに遇って欲しいと思うがゆえに一喜一憂してしまうのでしょうか。
そうした中で、昨日の法要に参られた一人に、およそ1キロの道のりを杖にやっと支えられながらお出でになった90歳に近いおばあちゃんがいました。
普段の外出は介添えがないと無理なお体です。道路事情も悪い昨今です。本当に頭が下がります。
江戸時代の終わり頃、山口県下関の沖合いにある六連島(むつれじま)という小さな島に「お軽」という女性がいました。夫の浮気や様々な人生苦に遭いながらやがて尊い念仏者として慕われた妙好人です。
そのお軽さんが詠んだ有名な歌があります。
「重荷せおうて 山坂すれど ご恩(仏恩)おもえば 苦にならぬ」
お念仏をよろこぶ人は、磁石にくっついた針が近くの針を引き寄せ、数珠つなぎになるように、まわりの人をお念仏に引き寄せます。
この度のお参りの光景で、ひときわこのおばあちゃんの姿に胸うたれました。
創傷被覆材「ラップ療法」などの注意
近年、熱傷のみならず擦過傷(擦り傷)、褥瘡(床ずれ)などにラップ療法を勧める記事を散見します。これは傷を治すのに湿潤環境が大切だという、moist wound healingの理論が根底になっているものと思われます。 ラップだけではなく、近年はポリウレタンやハイドロコロイド等を材料とした創傷被覆材が街の薬局でも購入できます。これらの治療材料を使う時には感染がみられない傷に使うこと、感染が見られたら使用を中止すること、などの注意書きがあります。 ただ、素人がこれを判断するのは難しいこと、また創傷面が外から見えにくいために感染兆候を見逃し易いことなどで、傷が感染し悪化しているケースがよくみられます。 ひどいものでは医療従事者が「とびひ(伝染性膿痂疹)」の傷にこれらの創傷被覆材を勧めているケースもあります。そもそも擦り傷、切り傷で感染が全くないケースは少ないと思います。 「ラップ療法」もそうですが、市販の創傷被覆材「キズXXXパッド」なども、感染した創には使用してはいけないことを再確認する必要があろうかと思いました。 以前、ブログにも載せましたが、創傷被覆材で傷の化膿を引き起こし悪化した例の写真を再掲して注意を喚起したいと思います。 ただ、この文の趣旨は感染した創には「ラップ療法」や創傷被覆材は不適当ということで、傷の治療に湿潤環境が必要であるということは当然であり、それを否定するものではありません。


泉自然公園の紅葉
先日の飲み会
先日、久しぶりに千葉大の同級生から飲み会のお誘いがありました。皆外科の連中なので普段の付き合いはなかったのですが、中の一人T君が近所に住んでいて、最近暇になったこともあってか、時々お誘いがあります。4人での飲み会は自然に学生時代の話題に戻っていきました。
随分歳月が経ってしまったことを実感しましたが、また一方で何年もの年月を巻き戻して若いときに戻ったような気分にもなったひと時でした。中の一人は若い一時期文字通り生死を共にしたようなザイルパートナーでした。
髪に白いものが混じり、量も少なくなったり、体型も変わってきたのは仕方ないものの年を忘れてしばし歓談しました。
二次会のスナックにも誘われて、久しぶりに酔っ払ってしまいましたが、楽しい酒でした。
有名な漢詩を思い出しました。
勧 酒 干(業に’おおざと’をつけて、ギョウと読む);(うぎょう)
勧君金屈巵 君に勧む金屈巵(きんくつし)
満酌不須辞 満酌辞するを須(もち)いず
花発多風雨 花発(ひら)けば風雨多し
人生足別離 人生別離足(おお)し
この詩には井伏鱒二の名訳があり、むしろこちらの方が有名かもしれません。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
これは後段があまりに強く印象に残り、人生のはかなさを詠った詩と思っていましたが、専門家の石川忠久氏によると「この詩は決して別れの歌ではない」そうです。
やがては人生に別れがあるのは事実として(それは達観して)、楽しく酒を飲みかわそうという肯定的な意味合いに解釈するとのことです。
その時の気分によってどちらに重心が傾くかが揺れますが、この日は将に年も時も忘れて楽しい酒に酔いしれました。
メラノーマ(悪性黒色腫)
先日は、浦安皮膚臨床懇話会がありました。この会は、順天堂大学環境医学研究所所長の高森建二教授が主宰する皮膚科の懇話会で、2か月に1回ペースで開催されます。他の用事と重なり、たまにしか出ないので、こうして書くのもおこがましく気がひけますが、全国のその道の専門家の講演が身近に見聞きできるまたとない機会です。
今回の講師は静岡県立がんセンターの皮膚科部長 清原 祥夫 先生で「悪性腫瘍の診断と治療」という演題でした。
皮膚癌の中でも最もやっかいなものが、悪性黒色腫(メラノーマ)です。我々のように開業しているとめったにお目にかからないものですが、テレビなどで「ほくろの癌」などの放映があると、その後は私もメラノーマではないか、と心配して来院する患者さんがお見えになります。ほとんど、良性のほくろ、老人性のいぼの類で、こんなものまでと思うほどの小さなシミまで心配して来院する人もいますが、実際メラノーマの罹患率は年々増加しているとのことです。高齢化の影響もあるかもしれませんが、受診率の増加とダーモスコピーなど診断技術の進歩による患者数の増加もあるかと思います。
そういう意味でテレビなどのやや大げさな話題も良い癌抑止効果があるのかもしれません。
ただ、増えたといっても日本のメラノーマは1人/10万人程度でオーストラリアの60人/10万人に比べると微々たるものです。年間の患者に直すと、日本で2000人、オーストラリアで12000人だそうです。この腫瘍はともかく早期の治療が肝心で、Stage Ⅰで厚さが極薄いものだと手術でほぼ完治しうるとのことです。
ところが、一度リンパ節に転移したり、血行性に転移したりすると悲惨な結果になってしまいます。
それでも、以前と比べると診断、治療方法も随分と進歩したようです。
一つはセンチネルリンパ節生検(sentinel lymphnode biopsy:SLNB)という方法です。センチネルというのは軍隊用語で番人、歩哨という意味との事ですが、最初に腫瘍の転移がはじまる可能性のあるリンパ節を指します。
顕微鏡的な微小な転移を早期に発見してリンパ節郭清を行うことによって生命予後が改善されることがわかってきました。
その手技はトレーサーと呼ばれる標識物質を腫瘍の近く(1cmほど外側)の皮内に数ヶ所注射し、SLNの集積部位を体表にマーキングして生体色素に染まったリンパ節を摘出するというものです。トレーサーには大きく分けて、生体色素と、放射性同位元素(radioactive isotope:RI)があるそうです。色素法、リンパシンチグラフィー、更にはガンマプローブを使えばより正確にSLNを特定できるそうです。
摘出したSLNは腫瘍転移の有無を確認し、もし転移があれば引き続き治療的リンパ節郭清を行います。なければ経過観察です。
原発巣の切除も以前は5cmも離して皮膚を取り除いていましたが、現在では2cm程となってきています。
メラノーマの分類は末端(肢端)黒子型、表在拡大型、悪性黒子型、結節型と分けられていますが、一般的に悪性黒色腫を疑ってみるのに参考になる基準があります。
それは、ABCDE ruleというものです。
A: asymmetry(左右非対称)
B: border(境界)・・・不均一で色素の染みだしがある
C: color(色調)・・・濃淡、黒、灰色、青色などまだらに混在
D: diameter(直径)・・・7mmより大きい
E: enlargement or elevation(増大または隆起)・・・大きさが急変する
こういったものには注意しなさい、ということですがやはり専門医の眼を経ることが最も重要です。近年はダーモスコピーが導入され、いってみればmm単位での画像診断ができるようになったという事です。
手術で取りきれない可能性がある時や、体の方々に腫瘍が転移した場合は抗がん剤(化学療法)の治療がなされます。日本ではDTIC(ダカルバジン)、ACNU(ニドラン)、VCR (オンコビン)の点滴注射にインターフェロンベータ(フェロン)の皮内注射を組み合わせる方法が一般的です。しかし欧米では化学療法の効果は疑問視されているようです。
DAVフェロン療法の最も辛い副作用は吐き気、嘔吐でしたが最近は新薬ができてこれを克服できるようになってきたのは朗報です。
こういう手術後の補助療法をアジュバント療法というそうですが、術前に行うこともあり、これをネオアジュバント療法というそうです。なかなか抗がん剤の効果は少ないですが、術前に少しでも効果のある薬剤を選択することがより効果的であろうとのお話でした。
メラノーマは放射線に耐性があって、従来はなかなか抑えられませんでした。しかし、最近では脳転移に対しては、ガンマナイフという特殊な放射線療法によって治療することができるようになり脳の腫瘍による神経死を防ぐことができるようになったそうです。
また、眼や鼻や口腔内の粘膜には陽子線という放射線が非常に良く効くそうで、静岡では40例もの経験があり、これは多分世界一の例数ではないかとおっしゃっていました。(聞き違いでなければ)
ただ、このようないろいろな治療方法を組み合わせて、集学的治療法(手術、薬物、放射線療法)を行っても進行したがんを食い止める事は容易ではありません。
最後は緩和ケアとなるのですが、かなり進行した例でも治癒に至った例もあるようで、静岡県立がんセンターのモットーは All for one, One for All Never give up のチーム医療だと述べられました。そして、治療の最優先事項は患者さんの希望(わがまま)で、患者さんに寄り添うことだそうです。
それが、仮に不幸な結果になっても一番患者さんが満足する生き方だからでしょう。
メラノーマは最も悪性度の高い悪性腫瘍で転移すると手がつけられなく、昔体中に黒い腫瘍が転移したり、脳や、肺や肝臓などに多発した患者さんを何人もみました。
ところが、自然に消えていく腫瘍があるのもメラノーマの不思議なところです。多分体の免疫力が働いているのでしょう。最近メラノーマの免疫療法や分子標的療法が実用化されようとしているそうです。メラノーマの治療法は夜明け前だという学者もあります。
数十年のうちに長足の進歩を遂げるかもしれません。
先日も千葉大学の末廣敬祐先生の悪性黒色腫のミニレクチャーがありましたが、皮膚外科の大変さ、その割に報われることの少なさを感じさせました。皮膚外科の先生方の地道な活躍が患者さんにとって一番の味方であり続けることは間違いありません。今後の活躍を期待したいと思いました。
メラノーマ以外の腫瘍の話もあったのですが、メラノーマだけで一杯になってしまいました。
皮膚の日講演会
皮膚の日講演会
今日、京葉銀行文化プラザで千葉県皮膚科医会主催の皮膚の日講演会がありました。
第1部は順天堂大学浦安病院皮膚科教授の須賀康先生の「皮膚科医が教える美肌スキンケア;ニキビからシミ、シワまで」という演題での講演でした。自然老化は止められないものの、腹7分目の食事、バランスがよく、鮭などのアスタキサンチンを含んだ和食などでも抑止効果はあるとの話からはじまりました。紫外線による光老化の話、それがシミ、シワ、タルミひいては皮膚癌をも引き起こすことも注意を喚起されました。
美肌ケアには細菌、ウイルス、化学物質などを洗い落とす洗浄も必要ですが、清潔ケアと乾燥ケアの両立は大変でお肌に合った保湿、十分な睡眠も必要なことも言及されました。美容皮膚科の治療では、シミの治療はその病態にあった治療を選択する事が必要であると述べられました。美白剤、ケミカルピーリング、レチノイン酸、レーザー、フォトフェイシャルなどの選択は日光黒子、雀卵斑、後天性真皮メラノーシス(ADM)、肝斑などの見極めが重要とのことです。シワの治療についても最近は目を見張るものがあります。抗シワ物質(レイチノイン酸、ビタミンA,C,Eなど)手術(フェイスリフト、スレッドリフト)注入物(コラーゲン、ヒアルロン酸、ボトックス)真皮コラーゲンの再生促進(レーザー、RF療法、近赤外線など)いろいろな選択肢が出てきました。ヒラリー・クリントンさんのボトックス効果などの写真は説得力がありました。ただ、何でもお薦めという訳ではなく、例えば充填剤(filler)によって皮膚潰瘍、内出血、塞栓などの重い副作用もあるとのことでした。
最後にニキビに対する、病態、レチノイドの作用、スキンケアなどの生活指導がありました。1時間ではもったいない程の盛りだくさんな内容でした。
第2部は常盤薬品、NOV事業部によるスキンケアの実演でした。モデルさんを使った実演は普段のスキンケアに慣れている女性の方々にも参考になったかと推察します。
洗浄、保湿、遮光の順に実演、解説がありました。
クレンジング料の正しい使い方では、クレンジング料がメイクとなじんで肌色になってから(これを転相ーーエンドポイントーーといい、クリーム、ジェルが肌を滑らせるときにフッと軽くなったと感じる点)洗い流す事が重要とのことでした。
またたっぷり目の量を使い指先ではなく、手のひら全体を使って体温で温めながらなじませるのが良いそうです。
洗顔料の泡立ては手でも、泡立てネットを使っても、手のひらからこんもり盛りあがる程度に大きく泡立てる事が重要です。これは泡がクッションの役目をするのと、少ない量で洗浄できるので余分な洗浄成分がすすぎ後に残るのを防ぐ効果があります。
またすすぎの温度も重要で、シャワーと同じ42度と35度のぬるま湯とを比較すると、熱い温度では本来の肌の保湿成分もすすがれて乾燥が進んでしまうという実験結果も示されました。
また、洗顔はTゾーンを意識的に行い、顔の周辺は洗い残しが多いので顔の向きを上下、左右に動かしながら洗顔する方法を実演されました。
保湿は洗顔後すぐに行う事が重要で化粧水のみと+乳液、クリームを比較すると化粧水のみでは5分後に乾燥が進んでいることが示されました。また保湿はコットンよりも手のひらで温めながら肌の調子を感じながら優しく行う方が良いとのことでした。
最後に日焼け止めのチェックポイントがありました。特にスポーツなど屋外の運動では知らず知らずのうちに汗を拭ったりしてサンスクリーン剤が取れてしまっている事が多いとのことでした。またSPF(sun protection factor)は皆さん良くご存じですが、測定値は実際の使用量の約2倍、真っ白くなる程度の測定値であるとのことであまり過信しない方が良いようです。
スポンジ・パフなどは1週間に1度程度はお手入れすることも大切です。台所用中性洗剤と化粧用スポンジ専用クリーナーを使って洗浄すると良いとのことでした。
今回の講演、デモは我々皮膚科医にとっても非常に参考になりました。
これ程内容が充実していて、講演のカラー要旨がついていて、スキンケア用のサンプルがいただけて、しかも無料というのはかなりな事ではないかと、終わってみて主催者側の一人として思いました。
一寸満席には欠けましたが、盛況でした。今後とも千葉県皮膚科医会として市民への情報提供ができればと皆で話し合いながら散会となりました。
アルフォンス・ミュシャ
先日、プラハでの学会の際に、ホテルの近くのミュシャ美術館に立ち寄ってみました。
「ジスモンダ」や「ヒヤシンス姫」はやはり目を引きました。館内の一番奥まった処にミュシャの生涯と作品を紹介するドキュメンタリー上映の小部屋があり興味深く観ました。その後再び作品を見直すとまた違った感興がありました。
ミュシャはチェコを代表する画家です。「ミュシャ」はフランス語読みで、チェコ語では「ムハ」と発音するとのことです。現在はチェコの観光名所とされ、国民的人気のある「ムハ美術館」もオープンしたのはわずか1998年とのことで、ミュシャはナチス占領下や社会主義体制下にあっては日の目をみず退廃的、ブルジョワ的と非難の的にさえなったそうです。
ミュシャは1860年に南モラヴィア(現在のチェコ)のイヴァンチッツェに生まれました。幼少時から絵が得意だったとのことです。19歳でウイーンに行き、デッサン学校に通いながら暮らしたものの失業しましたが、才能を認められてパトロンの援助を受け、ミュンヘンの美術学校、さらに卒業後にパリに出て絵の修業を続けました。
1984年ミュシャ34歳の時、彼の人生を変える出来事が起こりました。パリの大女優サラ・ベルナール主演の戯曲「ジスモンダ」のポスターの依頼が舞い込みました。実はクリスマス休暇で担当の画家たちが全て出払い、彼にお鉢が回ってきたのでした。期間が僅か1週間ほどの納期だったそうですが、出来上がったポスターはパリ中の人気を博し、彼は一躍アール・ヌーボーの旗手と持て囃されるようになりました。ポスター以外にも装飾パネルや挿絵なども手掛け、1900年のパリ万博でも成功し、その名声をもって渡米し、アメリカでも成功を収めました。
1910年には祖国に戻り、スラブの民族色の強い作品群を制作していきました。このきっかけになったのがスメタナの「わが祖国」とも言われています。壮大な「スラブ叙事詩」などをみると若き日の官能的な眼差しの女性像はなく、スラブの女性を意識したものに変わっていっています。またプラハ市庁舎のホール装飾や、チェコスロバキア共和国の紙幣、切手などのデザインを手がけたり、聖ヴィート大聖堂のステンドグラスのデザインを手がけたり、民族的、愛国的ともいえる存在となっていきました。
そういうこともあってか、ナチスドイツがチェコに侵攻してきた時、逮捕された第1番目が高齢のミュシャだったということです。その後釈放されましたが、4ヶ月後に体調を崩し、78歳の生涯を閉じたとのことです。
戦後も共産党政権はブルジョア的、退廃的として彼の存在を無視してきましたが、1968年のプラハの春以降再評価されることになり、今日まで人気は続いています。
ミュシャの絵はどことなく日本人になじみが深いような気がします。ミュシャ自身が浮世絵や東洋絵画の影響を受けていたともいいますし、与謝野晶子のみだれ髪のポスターもミュシャの影響があるといわれています。成程そういわれればなんとなく納得できるような気がします。
ただ、初期の頃の官能的な絵と後年の壮大なスラブ的な絵とでは随分趣が異なるように思われます。人によってその好みが分かれるようですが、自分自身としては初期のややエロチックな女性像に惹かれます。19世紀末の混沌とした、しかし活気に満ちて平和で未来に希望があったベル・エポック(良き時代)の頃のパリ、ジャポニズム華やかで戦争もなくインターナショナルな雰囲気があった頃のパリ時代のミュシャの方が開放的な感じがします。
以前、東京の小さな画商の出張販売で妻とミュシャの絵をみて購入しました。ローリエ(月桂樹)と題される小品ですが、時々飾ってみています。
お気に入りの1枚としてHPにアップしました。