「慰めではない仏教に出遇おう」
今年も予報通りに梅雨時から各地で三十五度を超える猛暑日に悩まされています。加えて世界情勢はあちこちに対立と戦争がおこり苛立たしい限りです。
人間(私たち)の考え方、生き方に起因していることに間違いありません。
先ごろ、かつて一世を風靡したイギリスのロックバンド「ビートルズ」のジョン・レノンが一九七一年に楽曲した「イマジン」に心癒されました。
♪
想像してみて、天国のない世界を
やってみれば簡単だよ
僕らの下には地獄はないし
僕らの上には空があるだけ
想像してみて、すべての人々が
ただ今日という日を生きているのを
想像してみて、国境のない世界を
難しくないよ
何かのために殺すとか死ぬとかもない
宗教だってない
想像してみて、すべての人々が
平和に生きているのを
僕のことを
夢追い人というかもしれないけれど
でも僕だけじゃないよ
いつか君たちも僕らに加わってほしいな
そして世界は一つになるんだ
想像してみて、所有のない世界を
君らにもできるかな
貪欲になることも飢えることもない
人はみな兄弟なんだ
想像してみて、すべての人びとが
世界を分かち合っているのを
僕のこと
夢追い人というかもしれないけれど
でも僕だけじゃないよ
いつか君たちも僕らに加わってほしいな
そして世界は一つになるんだ ♪
世界平和を願うメッセージを込めた曲として世界中に広がったこの歌詞には、「宗教も、国家も、物欲もない、争いのない世界を想像してごらん」というフレーズが含まれています。この部分が、一部の解釈では、宗教や国家という既存の枠組みを否定していると捉えられ、特にキリスト教社会においては、天国や地獄を否定するような内容であると批判されたようです。このため、一部のラジオ局や放送局では、放送を自粛したり、歌詞の一部をカットしたりする措置が取られました。例えばアメリカでは、ベトナム戦争時や9.11テロ事件後に兵士の戦意喪失や不快感を与える可能性があるとして、放送自粛の対象になったことがあります。
六月二十三日は八十年前、先の大戦末期に始まった沖縄戦で組織的な戦闘が終結した日です。日本で唯一住民を巻き込んで日米が激しい戦火を交え、双方ともに多くの死者を出したのが沖縄本島です。
戦争が終結した時二十歳だった沖縄戦の語り部瀬名さんは「戦争で平和は築けません。戦争は破壊者で、自然も文化も人間性も破壊します」と話されています。
戦争は八十年前に終わっていません。未だに大量の不発弾が沖縄の地にあり、犠牲者も出ているのです。
さて仏教についてよく聞いて、一般的なイメージを払拭してほしいと思います。
キリスト教、イスラム鏡、ユダヤ教という宗教は、すべて神が創造したところから始まります。
仏教は違います。仏教を説いたブッダ釈尊(約二千五百年前)は真理の発見者です。釈尊の見出された「法(真理)」は、釈尊によって左右されるものではなく、不生不滅の法といわれます。法としての真理(この私を支えてくれるもの)は、いつでもどこでも誰にでも、すでに与えられているのです。
元来、仏さまには罰ということはないといわれています。罰は、自らの悪い行為によって悪い報いを受けることをいうので、仏さまが罰を与えるということではありません。現在、世間に横行している悪霊のたたりや神さまのたたりということもありません。
釈尊は「私の教えは、川を渡る筏だ」と語っています。川というのは苦悩の人生をあらわし、そこを渡るための筏だというわけです。しかし、ひとたび川を渡ってしまえば筏にはもう用がない。捨てていけ、と釈尊は説く。筏に固執して、向こう岸でも筏を担いでいるやつはおかしい。つまり、究極的に仏教さえも捨てていけということです。
そのことは、社会と関わり、他者と関わることこそが大切なのだからという考え方が根底にあるのです。そして、思いを調え、執着を調えれば、苦悩もなくなる。仏教は、そのためえに役立つし、そうすれば、「究極的に仏教さえも捨てていけ」との教えです。