「ドコトテ 御手の真中ナル」
一月二十日夜のNHKテレビ「映像の世紀ーー兵士たちの負う心の傷トラウマ」は、感傷の情にたえませんでした。
日本が終戦から八十年となる今年、その時五歳であった私はいろいろと考えさせられます。
映像の中ではこの地にあった「国府台陸軍病院」が映し出されていました。戦地で精神疾患を患った方々は終戦までここに約一万人が入院していたようです。
かつてのベトナム戦争でアメリカの傷病兵たちのトラウマ、そして第一次世界大戦ではイギリス兵たちが軍法会議で臆病者として処刑されていく映像など、人間の深い罪悪性を思わずにはいられませんでした。
さて、有縁の皆様方にお参りいただく中原寺本堂のご本尊阿弥陀如来のお木像について、その縁起をお話しておきましょう。
戦前東京南千住にあった寺は先代住職の父が出征中に大空襲ですべてが焼失してしまいました。戦後二十一年に戦地より復員した父にとっては一日も早く現在の地で新たにご本尊をお迎えしご入仏をしたいとの思いが強かったことでしょう。そしてご先祖の縁をたどり石川県能登部のお寺にあった阿弥陀如来像をいただいたのだと聞かされています。終戦後間もないときであり、父は汽車を乗り継ぎながらそのご本尊を風呂敷に包み背負ってきたそうです。
現代はいつの間にかすべてを物質化して考え、金銭でモノの値打ちを決めるようになりました。今は世の中の価値観が変わってしまいました。
日本には昔から「手間」というすばらしい言葉があります。「ある事のために費やす時間、または労力」をいいますが、効率的で即効性を追求する現代の感覚はいかがなものでしょうか。あらゆることに手間をかけることをさけ、手間のかかることを回避するようになりました。
父がそうであったように、待ち焦がれたご本尊をお迎えできたことの喜び、ひと時も吾が体から離されないぬくもりが仏像の木肌から満身に伝わったことでしょう。そして憎しみと破壊に身心が疲弊した戦争という恐ろしい業火から救ってくださる阿弥陀仏のお慈悲にふっと心動かされたのではないかと思います。
どのようなことにもそこに到る深い歴史があることに気づかされると、不思議と七十数年前に別れた父のその時の気持ちが時空を超えて今私の心底に再現し、とめどなく広がってまいります。
近頃、忘れがちだった民藝の創始者として知られる「柳宗悦」(一八八九~一九六一)に再度出会う機会がありました。本屋さんで目に止まった若松英輔氏が取り上げ解説した「柳宗悦ー美は人間を救いうるのかー」の本です。
柳宗悦は民衆の暮らしの中から生まれた美を世界に紹介した人ですが、その根底には大乗仏教経典の「無量寿経」の教えがあります。特に晩年に書かれた「南無阿弥陀仏」は浄土思想=他力道を民藝美学の基盤として捉え直した書として何人にも大きな影響を与えました。そしてこの本には「心偈(こころげ)という言葉が付されています。改めてモノ、コトの視点の深さを教えられます。
『打テヤ モロ手ヲ』
「ほれぼれと見守るものを、いつも目前に見るがよい。幸いこれに如(し)くものはない。「モロ手」は両手である。なぜ両手を打って悦ばないのか。讃嘆(さんだん)しないのか。考えると、讃えるべき光景が、如何に吾々のために、沢山用意されていることか。即時にここに、その輝かしいものが現前する。どうしてそれを見ないのか。人間は何時だって、仰ぐべき本尊を心に持つがよい。物にも持つがよい。上は釈迦牟尼仏(阿弥陀仏)から、下は一枚の布、一個の壺でもよい。もろ手を打って、ほめ讃えるべきものを持つことが出来れば、生活は輝く。何故なら、人間はこれで謙譲や、反省や、精進や、清浄や、もろもろの徳に交わる縁と、固く結ばれるに至るからである。」
今の時代を考えてみると、仰ぐべきもの(ご本尊)を持たなくなりました。いや、自らを仰がれるべき存在の道にと突き進んでいると言ってもいいかもしれません。「自分を偉くして、その力量でものを左右しようとする」人は、世の中にたくさんいます。その道は「自・他」「好・醜」「優・劣」「多・少」「生・死」といったニにとらわれる迷いの世界であって、差別の助長でしかありません。仏教の教えは「不二の法門」です。
「私たちは自分の能力には注目しても無垢なるものに目を向けることは少ない。能力はいずれ衰えていきます。そして、それは比較の世界に私たちを閉じ込めがちです。もちろん能力は大切なものです。しかし、無垢なものはさらに重要であり、根源的です。自他ともに無垢なる眼で見つめること、そこに不二の世界が顕現するのです。」との若松英輔氏の論評には、素直に賛同を覚えます。
多くの現代人にとって仏教は、帰依するものであるよりも、学びや教養の対象になっているかもしれません。いかがでしょうか?