松尾公子さんと行く「地下鉄で行くハーレム日曜礼拝」というツアーに参加しました。
集合場所は、ヒルトンミッドタウンの1階奥です。
地図で見て、地下鉄6号線で北上し、51丁目で乗り換えて、EかM線で2駅目の7番街で降りればすぐのはずです。少し余裕を持って出かけたので、何の問題もない筈でした。所が乗り換え駅でE線は止まっています。意味不明だけれども、仕方ないか、タクシーを拾えばいいか、と地上に出ました。一台目は一方通行だからそっちには行かない(?)と言ったのかどうか、乗車拒否されました。それにしても車が少ないなーと思いつつ反対方向の車をつかまえて、ヒルトンまで、といいましたが、バイクがどうのこうのと言ってダメそうな事を言います。よく理解できないまま急ぐから近くまででもやってくれ、と乗りましたが時間は刻々と集合時間に迫り、ややパニック状態というか、ツアーを諦める状態でした。近くで降ろしてもらい急ぎ駆けつけてギリギリ集合時間に間に合いました。
今日はバイクイベントとの事でしたが、今一つピンときませんでした。
後で調べて分かった事。
【BIKE NEW YORK】(北米最大のサイクリングイベント)
32000名が参加し全40マイルを走破する。
一般道や高速道路、橋などをカーフリー(自動車通行止め)にして走る。
5月4日、日曜日 7:30AM バッテリーパーク スタート➡️ 6番街 ➡️ セントラル・パーク ➡️ ブロンクス ➡️ クイーンズ ➡️ ブルックリン ➡️スタテンアイランド ゴール
よりによって大変な日に遭遇してしまった訳ですが、他の参加者は涼しい顔をして集合していました。
兎も角、皆の後をついて地下鉄に乗り込みました。公子さんが何やら説明を始めたのですが、地下鉄の音がうるさくてよく聞こえないまま、ハーレム 125丁目に到着しました。
確かD line(6 Ave.EXPRESS)でした。そういえば あの有名なジャズの名曲”A列車で行こう“は途中から同じラインを走るA line (8Ave.EXPRESS) のことをモチーフにしたものだそうです。
今日は10名弱の参加。いつもはもっと多いそうです。歩き始めてからの説明はさすがによく分かりました。公子さんはもうアメリカ生活30年近くで、自分でもゴスペルを歌い、ハーレムに精通しているそうです。結構有名人で日本のテレビに出演したり、旅行記などにも寄稿したり、日本との橋渡し役も担っておられるようでした。
ハーレムという言葉は元々入植したオランダ人が本国のハールレムにちなんで名付けた地名だそうです。ですからスラム街とかではなく、ヨーロッパ調のがっちりした建物が建ち、道幅も広くむしろ高級な街だったそうです。ところが奴隷解放の後、南部から大挙して黒人が移住してきて、彼らが増えだすとオランダ人達が住みづらくなり空き家が増えだし、そうすると治安が悪化、不法侵入する人達もでてきて、急速にスラム化したとのことです。
ハーレムというと一般のアメリカ人は毛嫌いして、一生近づかない人もあるそうですが、ヨーロッパ人は懐かしさがあり、高級車で(徒歩ではないところがミソかも)訪れるそうです。そういえばちらほらベンツなどが通り過ぎていくのをみました。広い道を振り返ると立派な格調高そうなヨーロッパ調の建物も建っていました。一時は荒れ果てた街も最近は再開発が進み、随分とリニューアルされて比較的安全になってきたそうです。しかし、裏通りなど不案内なところには近づかないように、との注意がありました。広い道ではちょうど北上してきたバイク・イベントの一団が駆け抜けていくところでした。
途中、有名なアポロシアターの前を通りました。ここでは音楽だけではなく、なんでも一芸があれば芸人の登竜門として受け入れるそうで、今は吉本興業も日本で勝ち抜きオーディションをやるそうで、彼女がそこで日米の橋渡し役をやっているとか。シアターの前の路地には歴代の著名人の銘板がありました。歩きながら途中のシャッターに書いてある絵の事とか、ストレートパーマやヘアウイッグが今の流行りとか、ハーレムの歴史やファッションの移り変わりなど、色々な事柄を分かりやすく教えて頂きました。
教会に到着し、1時間程のゴスペルミサに参列しました。公子さんも早くに洗礼を受けられたようで、ゴスペル歌唱に加わっていました。厳かなキリスト教のミサというより、黒人の陽気な演奏会のようにも見えましたが、神への賛美の仕方は民族ごとに色々あるのでしょう。
1時間程経って、いったんゴスペルは終了し、その後も午後の部のミサが続くようでしたが、継続参加は自由とのことで、小生を含め半数ほどの人は教会をおいとまし、解散となりました。
解散後、糸島から来ているというご夫妻に誘われて、アフリカアメリカンのソウルフードのレストランに行きました。チキンと玉ねぎを炒めたものにライスがついて、量がすごい。普段食べる量の倍くらいありました。でも美味しかったし、チップも要らないと、そういわれるとあげたくなりあげました。ご夫婦も食べきれずパックの容器に入れてもらい持ち帰りました。彼らはリタイアして子供もいないから、とのことでもう3週間くらいボストンからニューヨーク、これからハワイへ行くとのことでした。ゆったりした優雅な人生もあるものだ、と思いながら談笑していました。彼らとはタイムズスクウェアで別れました。
異郷の地にあって、日本語で説明を聞き、言葉を交わすことのできる幸せ、安堵感を感じたひと時でした。