先日金沢の学会の後、輪島に行ってきました。
輪島の町野町に小生の高校時代の同級生が開業していた医院がありました。残念ながら、彼は亡くなりその後を息子さんが継いでいます。
町野にかつては5件あった医院も少なくなり、震災や水害の後は1件のみとなってしまいました。
その医院も水没してしまい、今は町野の中学校の一角を借りて臨時診療所としているそうです。
同級生のメーリングのやりとりで、彼が復興に努め、町のイベントなどの活性化にも注力しているということを知って表敬訪問してきました。
粟倉医院というのですが、電話しても繋がりません。(後で知ったのですが、水没して取り壊された医院に電話が繋がるわけがありません。)
詳細が判らないままに、日曜日学会の後、レンタカーで和倉温泉経由で輪島を目指しました。
ここの加賀屋も灯りは少なく、営業再開にはまだまだのようでした。
町の広場に大きな公衆浴場(温泉)があり、旅の疲れを癒すことができました。
翌日はのと里山海道を通って輪島まで行きました。穴水から先の道路はまだ、対面通行や片側交互通行があり、路肩や周囲の山崩れなどの修復中の所があちこちに見られました。
輪島市の朝市にも行ってみましたが、広大な更地になっていました。
道の駅で町野方面の道路事情を聞きましたが、所々に通行止めがあり、地元の車のみ通行可らしいなど何とも心許ない返事でした。
ママよ、と海岸沿いを進みました。町野に近づくと、道は大きく山の方へ迂回する指示になって、ナビも通行止めの表示が多々出てきました。それでも地元の車らしいのが通っている道を辿り無事着くことが出来ました。時に崩れ落ちた廃屋を見かけましたが、道そのものは修復されていて問題なく通行できました。
突然の訪問にも関わらず、院長、ご母堂(亡き同級生夫人)にお会いできました。
まだ中学校での臨時診療所ながら、お母上と共に診療所を切り盛りされていました。6月には元の診療所より小高い所に新診療所が出来るとのことでした。
町の人口は減り、患者数も半減したそうですが、桜祭りなどのイベントも手掛けて、町の復興に向けて頑張っている姿を同級生の皆さんに届けることができました。
能登の復興は未だ遠く、自分には何も出来ないけれど、頑張って下さい、との応援だけでも届けることができました。