基底細胞癌とヘッジホッグ

近年基底細胞癌、とりわけ常染色体優性遺伝性疾患である母斑性基底細胞癌症候群(基底細胞母斑症候群)(Nevoid Basal Cell Carcinoma Syndrome: NBCCS)の原因遺伝子としてPTCH1遺伝子が関与していることが発見されました。PTCH1は癌抑制遺伝子でヘッジホッグシグナル伝達経路の中で働いていますが、その働き、それをターゲットとする分子標的薬の開発が進み、病因の解明も進んできました。
【母斑性基底細胞癌症候群】
米国では57000人に一人の割合で発症するとされています。Gorlin症候群ともよばれます。日本では現在300人を超える患者さんがいるそうです。20歳頃からBCCが多発してきます。発達上の奇形がみられますが皮膚症状として、手掌や足底の多発性の小陥凹がみられます。顎骨の歯原性角化嚢胞がみられ、それで初めて異常がみつかる場合も多いそうです。前頭部や頭頂部の突出、両眼解離、広い鼻根部など特徴的な顔貌がみられます。二分肋骨、癒合肋骨、側弯症などの骨格異常もみられます。大脳鎌石灰化もみられます。
小児期(2歳頃)に髄芽腫が約5%にみられ、また卵巣腫瘍の発生もあります。米国では7000人ほど患者さんがいるそうです。
 
【ヘッジホッグ伝達経路】
ヘッジホッグ伝達経路はショウジョウバエからヒトに至るまでみられるもので、胚発生や分節決定、変態など動物の初期のステージの発生にかかわる重要な経路の制御にかかわっています。それで、この経路の異常はさまざまな先天異常や、奇形や発がんをきたします。とりわけ近年発見されたこの経路の中のPatched(PTCH1)という蛋白の異常によりNBCCSが発症することがわかり、その病態解明、治療に大きな進歩がみられています。ヘッジホッグにはデザート、インディアン、ソニックヘッジホッグ(Sonic Hedgehog: SHH) の3種がありますが、人ではソニックヘッジホッグが重要な働きをしており、最もこの経路の研究が進んでいるそうです。
ヘッジホッグとはショウジョウバエで見つかったペプチド分子で、1992年にショウジョウバエのHH遺伝子のクローニングが成功しました。ヘッジホッグとはハリネズミのことですが、ハエの幼虫のHH変異株が隙間のない芝生状の歯状突起をもっていて、これが毛が密集していて太くてずんぐりむっくりしたハリネズミを思わせることからこのシグナル伝達経路がヘッジホッグと名づけられたそうです。

SHHは自己分泌作用のある物質で、これが標的細胞に到達することによってこのシグナル伝達経路が始まります。SHHの膜受容体であるPatched-1(PTCH-1)と呼ばれる細胞膜表面の受容体にSHHが結合することによって、やはりSHH受容体複合体のコンポーネントであるSmoothened (SMO)の抑制がはずれ、細胞内にシグナルが伝わっていきます。最終的にGli転写因子を介して様々な標的遺伝子の転写が活性化され生理機能を発揮しているそうです。最近PTCH-1はこの経路を通して細胞核におけるシグナルに対して抑制的に働くことが解ってきたそうです。
そして体の器官形成や、分節などの調節はSHHにどれだけ長く曝されていたか、またどれだけの濃度に曝されていたかによって変わってくらしいことも解ってきました。
PTCH1の遺伝子変異は母斑性基底細胞癌症候群(NBCCS)(Gorlin症候群とも呼ばれる)というさまざまな奇形と高発がんを特徴とする遺伝病を引き起こします。
NBCCSでは恒常的にSHH伝達経路の発現が亢進しているのが病気の原因になっているとされています。

【進行性基底細胞癌、NBCCSの治療への応用】
約 90% の BCC は PTCH 遺伝子の変異により生じ、残りの BCC は、HH 経路の PTCH より下流に作用 する SMO遺伝子の変異により生じるそうです。したがって、SHH 経路の阻害により大半のNBCCSの腫瘍が縮小します。Erivedge(Vismodegib)はcyclopamine競合性のMO阻害剤で、SMOと結合してSHH伝達経路を抑制します。
104例のBCC患者(局所進行性71人、転移性33人)にビスモデギブを1日1回150mg経口で平均 8ヵ月間投与した試験において、既存 BCC の 平均縮小率は、ORR (objective response rate)で局所進行性が43%(27/63)、転移性が30%(10/33)でした。
副作用は味覚の喪失、筋肉の痙攣、脱毛、体重減少、吐き気、食欲減退などでした。7人の死亡例が報告されていますが、いずれも元々高リスクファクターのある患者でした。(3人は原因不明、ショック、心筋梗塞、髄膜炎、心虚血)。薬剤との関連性は不明とのことです。しかし主治医は関連性はないと考えているようです。
最も重要な副作用は、催奇形性です。従ってこの薬剤を使用する際は完璧な避妊が必要です。
一方、NBCCSの41人にビスモデギブを150mg/日8カ月間内服し、腫瘍の大きさの減少とHH遺伝子の発現の減少を認めました。しかし、54%(14/26)の患者では副作用のために継続を中止しました。
また、治療を中止すると腫瘍は再び拡大するようです。
副作用が生じた場合には、慎重を期して 1 ~ 2 ヵ月の休薬が推奨されています。通常、休薬期間中に有害 事象は回復します。その後、ビスモデギブを再投与し、腫瘍が 十分に縮小するまで投与を継続すると切除後に大きな傷跡が 残らなくてすむ利点があります。

ビスモデギブは2012年に米国のFDA(Food and Drug Administration)によって、転移性、局所進行性のBCCに対して適用されました。

現在この薬剤が適用になる患者の数はごく限られています。基本的に基底細胞癌は局所進行性で転移は稀でしっかり手術すれば治癒します。またいろいろな副作用を考慮するとまだまだという感じもします。
しかし、SHHシグナル伝達経路はヒトの発生、分化、進化やさまざまな腫瘍の発癌に密接に関与しています。
多くの製薬会社がこの経路を調節する薬剤を精力的に研究、開発しているそうです。
それで一般的ではないけれど、Epstein教授のscience worksという言葉に触発されて調べてみました。

参考文献

A. Sekulic Efficacy and Safety of Vismodegib in Advanced Basal-Cell Carcinoma
N Engl J Med 2012; 366: 2171-2179

JY Tang. Inhibiting the Hedgehog Pathway in Patient
with the Basal-Cell Nevus Syndrome N Engl J Med 2012;366: 2180-2188

ヘッジホッグシグナル伝達経路 Wikipedia

宮下俊之 北里大学分子遺伝学講座 HPより

難病情報センター
奇形症候群分野 Gorlin症候群(ゴーリン症候群) (平成22年度)

マルホ デルマレポート Vol.26 2013