先日、車の運転をしながら、石丸謙二郎の「山カフェ」という番組を聴いていました。その日はテーマが「山びとの生き方 谷口 けい」でゲストが山岳ライター 大石 明弘氏でした。
谷口 けいのことは、凄い女性クライマーだったが、北海道の大雪山系黒岳で遭難死して、新聞にも大きく報道された事位しか知りませんでした。生前の彼女をよく知る大石氏が「太陽のかけら ピオレドール クライマー 谷口 けいの青春の輝き」という本を書かれたことを知り、ネットで購入し読んでみました。
本職の作家でもない氏がペンを取ったのは、彼女と身近に接して山だけではなく、人生について多くのことを教わった著者の彼女の足跡、生き様、冒険を皆に伝えたいというやむに止まれぬ感情からだったといいます。それ程までに短いながらも強烈な人生だったのでしょう。
また、解説には有名な登山家 野口 健がペンをとっています。彼女より少し若年ながら、「落ちこぼれてエベレスト」などエベレスト登山、清掃登山などですでに有名人になっていた彼とはある山関係のパーティー会場で初めて出会ったそうです。大学卒業後アドベンチャーレーサーだった桂をその仲間がパーティーに誘ったのがきっかけでした。その後彼の事務所のイベント担当などで親しくなっていったそうですが、彼の反骨精神、自分でレールを敷いてその上を走る、そういう生き方に憧れたと述べたそうです。その後の彼女のマナスル、エベレストなどヒマラヤでの瞠目的な、飛躍的な活躍には野口と知り合ったことが大きな転機、手助けになっていったものと思われます。
8000m峰で高度順化を遂げた体には7000m級の岩壁もこなせるようになったのでしょう。ベテラン達からはお前らには無理だ、時期尚早だと揶揄されながらも、7歳年下の平出和也と2008年インドの難壁カメット南東壁の初登攀に成功します。その偉業に対して彼らに翌年のピオレドール賞が授与されました。日本人としてまた女性としては初のことだったのですが、彼女はその事を特に誇ることもなかったそうです。(技術、体力的には若い平出がリードしたのかもしれません。実際、彼女はユマーリングで引っ張り上げてもらったピッチもあると述べていますし。ただ、精神的な強さでは彼女はむしろリードしていたと平出は述べています。)
2014年には和田淳二とアラスカルース氷河の氷壁に4本の新ルートを開拓し、ピオレドール・アジア賞を受賞しています。植村直己冒険賞の受賞も打診されますが、まだ時期尚早だとして断っています。
本の中では、少女時代のどちらかというと目立たず、むしろ地味だったという友人達のインタビューや、家族との葛藤、自分探しのために高3でアメリカ留学など、明治大学入学後、自転車、アドベンチャーなど自分本来の生き方に目覚めた後との対比の部分も書かれています。熱心に、仔細に調べたものでしょうし、彼女の内面や苦悩もよくわかるのですが、亡くなった本人はもとより、ご家族との気持ちの細かい綾については核心、真実に迫る事は中々難しいのかとも思いました。できることならば、直接彼女自身の山への思い、生き様についての言葉を綴って単行本にして欲しかったと思いました。
それを差し置いても、谷口 桂という不世出のクライマーの足跡、世間体に惑わされず、自分らしく、自分の力で運命を切り開いていく生き方、さらにその真摯さ、人なつこさが周りの人達をも虜にしていった様が本書から如実に伝わってきました。
さらに、氏は谷口 桂がやり残したヒマラヤのパンドラ壁を目指すべく、クライミング技術を磨いて岩壁登攀に挑んでいるとのこと、言葉だけではなく、けいの生き様が乗り移っているかのような印象を受けました。
先鋭的な岩壁登攀だけに光の当たることの多い桂ですが、彼女自身は自分のことを「山登る旅人」といっていたそうです 。「私はクライマーじゃないから」といい山登りの道中やそこでの人との触れあいも楽しんでいたそうです。国の内外を問わず、いろいろな人との出会いを楽しみ、どんな人にも心を開き気さくに話し、人の話もよく聞いたそうです。小さい頃から決まった枠に捕らわれず、自由に人や自然と触れ合いたい夢見る少女だったようです。彼女と幾多のザイルを組み3度のピオレドール賞に輝いた平出和也はこう述べています。「山登りの技術の優れた人はもっといる。でも彼女ほど過酷な状況に置かれても耐えきれる精神の強さがある人はいません。登山には身体と技術と精神の強さのいずれもが必要なんです。」
父尚武は筆者にこう述懐しています。「あるいは・・・・運命だったのかな、とも思ったりね・・・・。ときどき僕は思うんだけれど、彼女は世に送り出されたとき、使命を与えられてきたような気がするんですね。登山界での最高レベルまで行って、女子学生をヒマラヤへ連れていって、十分指導できなかったかもしれないけれど、いちおう使命をそれなりに果たした。で、もう戻ってきなさいと言われて、天に帰っていったんじゃないかって思ったりしたりね。悲しみもあるけれど、最近は畏敬の念を抱くようにもなってきた」と。そういって桂が残したノートやメモ帳を筆者に貸してくれたそうです。父の娘への深い愛、喪失感を感じさせるエピソードです。
それにしても、一流の登山家は限りなく危険な領域に近づいていく宿命なのでしょうか。彼女の享年43歳というのが妙に引っかかるのです。
植村直己 享年 43歳
長谷川恒男 享年 43歳
この他にも40歳前後で山で亡くなった一流登山家の多い事。突き進んでいけば、どこかでやられるよ、との言もありますが、飽くなき夢への挑戦と体力、瞬間判断力の衰えの交錯するターニングポイントがどこかにあるような気もします。
でもこれらの超人たちは、短いながらも濃密な人生を十全に生き、一般の人々のとてもできない夢や希望を与え、光り輝き続けているに違いないのだと思います。