薄幸 詩人・文学者として開眼した斉ですが、最後まで文壇で名声を得ることはありませんでした。その理由を、斉を知る人たちは、「ただ、ただ、運がなかった」と言います。 斉も文壇に躍り出るチャンスは何度かありました。当時、ベ…
カテゴリー: つれづれなるままに
新進歌人 萬造寺 齋(1886-1957)(以下「斉」と表します。)は今から131年前、明治19年に羽島の地主の家に生まれました。子どものころから家にあった本を読みふけり文学に興味を持つようになります。東京の少年雑誌に歌…
今年の春、学会で京都に行った際に、歌人 萬造寺 齋 の足跡を訪ねて花園界隈を散策しました。彼は明治から昭和初めの歌人ですが、小生の遠縁に当り、その縁で家に全集が埋もれていました。最近になって、それを拾い読みしてみると、自…
近着の皮膚科雑誌臨床皮膚科のマイオピニオンという欄に埼玉医科大学の福田知雄先生による「最近の高額薬剤などの適正使用に関する考え方」という寄稿がありました。 重要な問題であり、また将来の日本の医療と財政危機もはらんだ難問で…
木下杢太郎記念館の展示に明治の文豪の自筆の書状がありました。文壇にデビューしたとはいえ、文学者とも医師とも画家とも確立していない中で、一流の文人にも一目置かれて、あるいは目に留まっていたということでしょう。やはり「栴檀は…
木下杢太郎は昭和20年終戦後、まもなく亡くなりましたが、最晩年まで執筆、描いていたのが、「百花譜」であり、「すかんぽ」でした。百花譜については以前、書いたことがありますが、すかんぽのことは今回はじめて知りました。 木下杢…
先日の休日に伊東に行ってきました。 お目当ては木下杢太郎記念館を訪れることでした。かつて伊東に行った際にも行ってみたのですが、あいにく休館日で入館できないままに立ち去り残念な思いをしたことがあり、いつか行こうと思っていた…
新型コロナウイルスの蔓延は相変わらず続いていますが、さすがに3年目にはいるともう、慣れっこになったか、報道も感染状況を淡々と知らせるだけで、一時のパニック的なセンセーショナルな報道はなくなってきました。あるいは自分自身の…
新年明けましておめでとうございます。 もうコロナ禍になってから2年もたとうというのに終息せずにまたしても最近感染者増加傾向というやるせない年明けです。 気を付けなければ、という気持ちとはうらはらに、もうどこか不感症という…
世の中、新型コロナばかりで、ステイホームの掛け声の中、自粛、自粛で以前の生活スタイルと大きく変わってきてしまいました。表面上の日々の行動はそれ程変わってはいないけれど、気持ちというか精神部分が大きく変わってしまったような…