萬造寺 齋をあなたは知っていますか(1)

今年の春、学会で京都に行った際に、歌人 萬造寺 齋 の足跡を訪ねて花園界隈を散策しました。彼は明治から昭和初めの歌人ですが、小生の遠縁に当り、その縁で家に全集が埋もれていました。最近になって、それを拾い読みしてみると、自然への賛美、また一方で人生の苦悩が謳われていて感銘を受けました。先日も紅葉見物がてら京都を再訪し、仁和寺、竜安寺、金閣寺などを観てまわりました。その近辺に生前齋が寓居を構えていたこともあり、彼の著書にも記述がよく出てきます。それで、といってはこじつけになりますが、萬造寺 齋 のことを一寸取り上げてみたいと思いました。

萬造寺 齋は郷土でもそれ程世に知られた文人ではなく、一般的な資料は乏しいのですが、表題の記事を鹿児島県いちき串木野市の広報誌にみつけました。 Vol.141 2017
筆者の名前も書いてないのですが、地元の著名な歌人の紹介記事として非常に分かり易く、かつ詳しく書いてありましたので、紹介したいと思います。(一応転載の許可は取りました。長いので数回に分けて)

孤高の歌人 萬造寺 齋
萬造寺 齋(まんぞうじ ひとし)(1886-1957)は羽島に生まれた歌人です。
萬造寺斉の生き様や残した作品から「孤高の歌人」「山岳歌人」「望郷歌人」などと呼ばれていますが、その名前は広く世に知られているとは言えません。
ただ、斉と同時代を生きた与謝野鉄幹、与謝野晶子、高村光太郎、森鴎外、石川啄木、北原白秋など、私たちが知る文豪にも、一目置かれ、近代日本の偉大な詩人佐藤春夫をして「これ(斉)を(北原)白秋・(石川)啄木の下にみていた往年のおのれの目の低さ愚かしさを自ら恥じる」と言わしめました。
萬造寺斉とはいったいどのような人物だったのでしょうか。