中原寺 宿縁 十一月号 

「分け隔てなき心に生きる」

 秋晴れの日、ある駐車場の車内から外を眺めていたら赤い帽子をかぶった園児たちが先生に連れられて道路を歩いている光景が目に飛び込んできました。幼い児童は先生の曳く動車に乗って、歩ける子たちは列をなして何とも穏やかな微笑ましい姿です。
 それを見る瞼の裏には、同じ小さな地球の場で同時刻に何も知らない罪なき子どもたちが殺され傷つき戦火におびえている姿です。このむごい状態を作り出しているのは間違いなく大人たちです。大人とはなんと罪深い存在なのでしょうか。
 ウクライナでそしてパレスチナ自治区でまたその他の地域でも、なぜこれだけ人は殺し合わなければならないのでしょうか。またその紛争の多くは宗教が根っこにあることを知ればやりきれなさで一杯です。
 本来、人間の過ちに目覚めさせる宗教でなければならないのに、自らを問うことなくして他を攻め否定していくのであれば、それは宗教とも信仰とも程遠いものと言わざるを得ません。
 それでいま私たちはそのことを仏教に問い、親鸞さまの教えに尋ねてみなければなりません。
二千五百年ほど前、この地上において真理(真実)に目覚められ仏陀となられたお釈迦さまは人間の苦しみ迷いはどこから来るのかを探究しそして気づかれました。それはあくまでも自分中心でしか見られない、そしてそれに固執するあり方にあると覚られました。
 また、誰もが恐れる暴力について、真理のことば(ダンマパダ)第十章で、「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死を恐れる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。」とあります。お釈迦さまの時代も部族や国々が争いを起こし殺戮が繰り返されていたのです。
 それでは親鸞聖人の生きられた時代はどうだったのでしょう。
 「平氏にあらずんば人にあらず」と権勢を誇った平家を倒した源氏も兄弟を殺戮し、やがてまたおのれの子も近親に殺されていく悲劇につながってまいります。
明治維新も太平洋戦争もこれが悪い彼が憎いと自らの正体の過ちに気づくことなく、他を廃して善だ悪だと我中心を貫こうとする恐ろしい悪性が繰り返されています。
 親鸞聖人はこうした周囲の事実を他人の世界と見たのではなく、あくまでも自分もそうだと己の身を悲しんだのです。
 多くの人が知る歎異抄(たんにしょう)の第十三章には人のなす行為について「業縁(ごうえん)」ということを述べられています。「業」とは身体、言葉、心に起こる行為です。「縁」とは間接的な条件です。親鸞さまはあるとき、門弟の唯円(ゆいえん)に次のように尋ねます。
(親鸞)唯円よ、お浄土に往生するための条件に人を千人殺してくれないか。そうすれば往生は確かなものになるであろう。
(唯円)せっかくの師のお言葉ですが、私のようなものには一人として殺すことなどできません。
(親鸞)それではどうして、先ほどこの親鸞のいうことには背かないなどといったのか?
    これでわかるであろう。どんなことでも自分の思い通りになるのなら、浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、すぐに殺    すことができるはずだ。けれども、思い通りに殺すことができる縁(間接条件)がないから、一人も殺さないだけなのである。自分の心が善いから    殺さないわけではない。また、殺すつもりがなくても、百人あるいは千人の人を殺すこともあるあろう。
 ここのところは前後の文章の脈略を省いていますので難しく正確に伝わらないところだと思いますが、人間の蓄えた知識による善悪やものの判断の危うさ不確実さを指摘している大切なところなのです。
 親鸞聖人は、阿弥陀如来の真のこころ、つまりあらゆる人を平等に見、そして救わずにおかないという絶対的真理に立脚した眼差しを信受したのです。それはまた人間の知恵の限界、いや過ちに気づかされたのです。
 日頃読みなれている『正信偈』の御文には「邪見驕慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)」とありますね。「邪見」とは誤った考えのことであり、「驕慢」とは自らの才能、地位などに対して執着し、他人に対しておごりたかぶることです。
 世間に生きる私たちの生き方は知恵の向上心です。それこそが人間が他の生き物と比べた優位性だと思っています。しかし他の生き物は、求めるものが容易に得られない場合に苦しむのですが、人間の苦しみは、自らの欲望そのものが、苦しみの震源地になっているといえましょう。
 親鸞さまは果てしなく迷い続けなければならないであろうわが身が、世間を超えた仏の教えに今遇い得た、聞きがたき教えをすでに聞くことができたことに慶喜されました。それは新たないのちへの誕生なのでした。