中原寺 宿縁 十月号

 中原寺メールは終わり、長らく住職の文をアップすることはありませんでしたが、毎月「宿縁」として手紙は受け取っていました。住職も引退されて、前住職となられましたが、今も元気でご活躍中です。
久しぶりに(気まぐれのようで恐縮ですが)転載してみます。許可は取っていませんが、中原寺メールの続きのようなもので、許して貰えるでしょう。

「遇い難くして遇うことを得たり」

 今年七月十五日に作家髙史明(コ・サミョン)さんが九十一歳でご往生なされました。
 先生は今秋三十三回目を迎える中原寺文化講演会の第二回講師であり、また当寺へ何度もお出かけいただき親しくご教導をいただきました。
 常にご自身の人生の歩みを通して人間の心の闇を深く掘り下げ、真実なるものを求められたその真摯の姿勢は瞼に焼き付いています。
 あまりご存じない方のために髙さんの人生を記しておきます。
 在日朝鮮人二世として下関に生まれ、極貧の生活を過ごされ三歳の時に母と死別、石炭沖仲仕であった父に育てられました。その貧しさは想像を絶するほどで、生まれたばかりの弟はネズミに噛み殺されたといいます。朝鮮人ということで創氏改名(日本が植民地支配のため、朝鮮人に日本式の姓名への改名を強制した)させられ、差別と貧困のため高等小学校を中退しました。
 日本敗戦直後の教育を受けた私の時代を思いうかべると、たしかに「あそこは朝鮮人部落だ」とか「あいつは朝鮮人の子だ」とか誰からともなく教えられ、私たちとはどこか違うというイメージを子ども心に持ったものです。
 髙さんは、決して悪ガキではなかったがあからさまの差別やいじめに遭うことで喧嘩少年であったと語っています。その後、職を転々とするその中で「朝鮮が日本の植民地であったことが差別や貧困につながっていること」に気づき、過激な政治活動(共産党入党)に参加します。しかしやがて志を同じくする者同士なのにお互いが対立し闘争をすることにいや気がさしてそこから抜け出し、一九七一年「夜がときの歩みを暗くするとき」を発表、小説家としてデビューしました。一九七五年「生きることの意味」で日本児童文学者協会賞を受賞しますが、同年夏、一人息子の岡真史君が十二歳で近所の団地から飛び降り自殺をします。
 真史君の遺稿詩集「ぼくは十二歳」を妻の岡百合子さんとの編集で刊行。ドラマ化もされました。繊細な感性の持ち主であった少年の遺したノートや詩は世間の大きな反響を呼び、爆笑問題の大田光さんが髙さんの家を訪ね、亡き息子さんへの思いやりや父親としての葛藤を尋ねて、若い人たちに関心を呼びさましました。そして当時不登校や引きこもり、いじめ等の難問に悩む社会現象に、生きることの意味を考えさせました。
 一人息子に突然先立たれた悲しみを縁として髙さんは、改めて「歎異抄」に導かれ、親鸞聖人の教えに深く帰依してゆくことになります。
 歎異抄第三章の有名な音葉「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世の人つねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。・・・ 」
 髙さんはこの言葉と葛藤して次のように述べています。(「歎異抄のこころ」)
 「人間社会は、利口者によって成り立っている社会なのでした。その点が、他の生き物と、きっぱりと違うところなのです。その人間社会では、常に「利口者」であり「善人」である者が、表舞台に立っているといえましょう。その反対に「愚か者」であり「悪人」であるとされた者は、社会の陰に息を潜めて生きるほかないのです。それが人間社会のいわば「常識」というものでありましょう。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とは、そのいわゆる常識を真っ向から向かい合っている言葉なのです。人々が、この言葉を前にして心底からの衝撃を受けるのは、それ故のことでありましょう。
 第三章の冒頭の言葉には、その人間世界の黒闇を、まっすぐに見つめ通している眼差しだといえます。ここでいう「善人」とは、まさに自らの知恵の囚われ人にほかなりません。その囚われ人は、自らの知恵に囚われているが故に、人間の黒闇の蟻地獄に、ますます深く落ち込んでゆくほかないといってよいのです。まさしく世間の「常識」とは、そこに一応の道理があるかに見えるのですが、そのありようの本質は、真実の『いのち』に背を向けている黒闇であるというほかないのです。
 「本願他力の意趣にそむけり」とは、そのこころにおいていうなら、その真実の「いのち」に背を向けて生きようとする、人間の黒闇を指摘する言葉だといえます。」
 「本願」とは、阿弥陀仏の私たちへの根本の願いです。また「他力」とは何ものも妨げることのできない不思議な仏の智慧の働きをいいます。そして阿弥陀さまの真実の力なのです。それは人間の煩悩による知恵の危うさを知らしめられて、手を合わせるほかにどうしようもなくなった者こそが、阿弥陀さまの願いにもっとも敵った者だということでしょう。
 髙史明さんの課題は、とことん「真実とは何か」を追い求めた人生でした。それは貧困・差別・愛児の死から、おのれ自身に問わされたものでした。だから道を求める者には尊い導き手であったのです。