龍安寺

先日、大津、京都に行ってきました。
日吉大社、竹林院、三井寺の紅葉も盛りで、美しかったですが、龍安寺の紅葉も見事でした。流石に人は多く、石庭も長時間ゆっくり見ている事もできませんでしたが、それでも堪能できました。また湖畔の紅葉、湖面に映った山や木々の陽の光でキラキラと移り変わる情景は素晴らしいものでした。

 龍安寺は萬造寺 齋もよく訪れていたようです。住まいが花園、妙心寺の近くにあったことから四季折々、桜の季節、紅葉の季節に幾度となくこの境内を訪れたと述べています。齋はある一月の平日、人気のない龍安寺を訪れた時のことを題材にして”石庭の冬”という小物語を書いています。
 龍安寺は細川勝元が開基(創建者)となっていますが、石庭の作庭者は諸説あって定かではないそうです。斎は想像を巡らせて、ある作庭者をあたかも現前に佇立したかのように登場させ、老境にはいった作者がそれまでの豪華絢爛、権力者に阿たような庭作りを捨てて、華飾を取り去った枯淡な庭造りに目覚めていき、世間の評価も頓着せず、純粋に自らの芸術家の真心、宇宙の真髄に触れるような渾身の庭作りに全身全霊をささげ、それがためにむしろ世間から蔑ろにされ、忘れさられていった物語を創作しています。そして、夕方の勤行の鐘の音で突然、幻影から我に返り、そこにはもう作庭師は消え去っていたという話です。あたかも当時の自身の生き様、自然観、人生観を投影したことを想起させます。ともあれ、斎の自然への、石庭への賛美、尊崇の念はひしひしと伝わってきます。
 「思へば私が京都に落ち着いてから、ことに数年このかた此の附近に居を移してから、私は幾度幾十度この境内に逍遥の杖を曳いたか分からない。しかしこれまで私が其の美しさに最も多く親しんだのはこの境内の春の桜秋の紅葉の美しさだった。私は其の新鮮な緑が微かに色づいて、やがて深紅に燃えたって行く紅葉の微妙な色彩の変化を、殆ど毎日のやうに来て眺めながら、自分の鈍い感覚が、十分にこの測り知れない種々相を味はい、自分の貧しい才能が、完全に其の美しさの神秘を把握して、其れを歌なり文章なりに表現することの出来ない歯痒さを感ぜずにはゐられなかった。さうして、また十分見飽きも味はいつくしもしないうちに、紅葉の新鮮さが漸く爛熟し萎縮して、空しく地に委せられていくのに対して無限の寂しさ悲しさを経験したものである。
 しかし、今はもう一切の枯るべきものは枯れつくしてしまった。今私の前にあるものは、総てが行くべきところに行き、落着くべきところに落着いた後の一種のすがすがしい諦めと帰依と安穫との尊い清浄な姿である。地上生活の、あらゆる感情の動乱も、相克も、生存の為の一切の争闘も軋轢も、もう過去のものとなった。すべての木々は、楓も櫟もあらゆる修飾を捨てて、身軽い赤裸の姿となって、寂しいよりは寧ろ悠然たる容態を以て、冬の日光を浴みてゐる。しかも、その落着いた静かさの中には何といふ力の充実が、内部への何といふ深い沈潜が、何といふ打任せた平和が籠ってゐることか。何とすべての木々は、その生命の充実によって、恰もかの聖者の像を包む後光にも似たほのかな輝きを、その木肌から放射してゐることか。・・・」

斎の文を読むと、春秋の桜、紅葉もいいけれど、冬枯れの池畔も逍遥してみたいと思ったことでした。