垂直の記憶 山野井泰史 著

だいぶ前に買ってそのままにしていた山野井泰史の「垂直の記憶」の文庫本を読んでみました。多分壮絶な記録だろうとすくんで読む気にならなかったのかと思います。最近はもう山にも登らなくなって外野席で山を偲ぶばかりとなり、山の怖さも薄れてきたせいかもしれません。連休が近づくと何処にいこうかとそわそわしていたのも遠い昔となってしまいました。若い頃は一人でもどこでも行けるような気がして、春の谷川岳、鹿島槍北壁、白馬、鹿島槍縦走など出かけたものでした。怖いもの知らずの時は雪崩も来ないだろう、簡単な壁ならセルフビレーでなんとかなると思ったものでした。事故らなかったのは単に運が良かっただけだと今では思えます。
 山野井氏は昨年確かアジアで初めてビオレドール生涯功労賞を獲得したのかと思います。世界で13人目ですが、その他の受賞者はワルテル・ボナッティやラインホルト・メスナーなどの山のレジェントといえるような超人ばかりです。
それもあって読んでみて改めてその壮絶さ、山への情熱に圧倒されました。

その登攀歴は驚異的で、アラスカ、ヨセミテ、パタゴニア、ヒマラヤの巨峰の単独、無酸素登攀を数多く行っていますが、中でもフィッツロイ、バフィン島トール西壁、ブロード・ピーク、チョ・オユー南西壁、K2南南東リブ単独登攀などは瞠目的とされます。
この本でも上記の登攀記録、マナスル北西壁での雪崩埋没、マカルー西壁での落石敗退など壮絶な記録もあります。
中でも本の最後の登攀で成功しながらも、妻妙子共々手足の指を切断することになり、その後の山登りを転換せざるをえなかったギャチュン・カン北壁での1週間にわたる苦闘とギリギリの生還の記録はまさに読んでいて、息詰まる思いの連続でした。
壁の途中で不調で動けなくなった妻を置いて登頂に成功したものの、悪天候の吹雪の中下山中に何度も雪崩に飛ばされ、一時的に2人とも高度障害、脱水、疲労で目が見えなくなり、ちぎれそうになった1本のザイルにすがりながら凍えた手で氷壁の懸垂下降を繰り返し氷原に戻りつきました。ボロボロになった肉体はよろよろ歩き続け、命の火が途切れる寸前に戻ってきたベースキャンプ・コックに救われました。
そして、この本は10本もの手足の指をなくして、以前のような先鋭的な登山ができなくなり、初心者に戻り二度目のクライミング人生が始まったばかりの時に執筆されたものです。
こんなに先鋭的なクライマーなのにその日常の生活は妻の(旧姓長尾)妙子とともに慎ましやかで、むしろひっそりとした自活暮らしをしています。マスコミの寵児でもなりそうなのに、スポンサーもつけずストイックでさえあります。賞の受賞後のインタビューでもむしろ穏やかでギラギラしたところは見られません。ただ自分の山への姿勢はあくまで純粋に高みを目指し、手足を失ってもそれは変わらないように思われました。自分に納得のいく登山ならば、全てのジャンルの登山が重要で意義深い、日本の山は多様性に富んでいて(岩、雪、渓谷、ヤブなどなど)それが自分を育ててくれたことを(もし外国人のインタビューで聞かれたら)訴えたかったとの言葉は印象的でした。妻の妙子は晴れがましい席があまり好きでなく連れて来なかったとのことでしたが、外国人には長尾妙子のすごい記録も知られているのかと思いました。彼女も一流のクライマーで静かながらものに動じないすごい人と思われました。
(「日本の女性登山界の財産」と言われる遠藤由加が、インタビューで会心の登山は妙子とのチョー・オユー南西壁、当面の目標はA5のエイドクライミングはできたので、残りの5.14aを登ること。それが終わったら、私のこの異常な体力を活かして、妙ちゃんともう一回くらいすっげえ登攀をしたいですね。彼女とならできそうな気がするので。と述べていました。岳人備忘録より)