山のお師匠さん

 先日、訃報が舞い込みました。
久しくご無沙汰していたTさんのものでした。
彼は、小生の山のお師匠さんともいえる人でした。先日も山仲間の友人と会ったおりに、Tさんの話題がでました。「このところ、ご無沙汰しているけどTさんどうしているかなー、大部衰えてきているみたいだし、一緒に会いに行ってみようか。」などと話しましたが、まさかこんなに早くに訃報が届くとは。暗然とした気持ちでした。
思い返せば、20代の初めの頃、街の山岳会入会案内を頼りに会いにいき、いろいろと説明してくれて、クライマーズクラブに誘ってくれたのが代表をしていたTさんでした。
気さくで陽気な人で山の魅力について熱く語ってくれました。その熱気に圧倒されたのもありますが、いつの間にか入会していました。ある時期は学業はそっちのけで週末になると奥多摩の岩のゲレンデ(練習場のような岩場)に通うようになっていきました。
程なくして岳人の憧れの地ともいわれる谷川岳に連れていかれました。
土合の地下駅から長い階段を上り、明け方の暗闇の中をヘッドランプをつけて一ノ倉沢を目指しました。ヘッドランプの明かりの長い列がテールリッジに続いていました。
クライムダウンでヒョングリの滝を越えて、初めてみる衝立岩は頭上に圧倒的でした。難しいそこは避けて、烏帽子岩の側面の岩壁を引っ張り上げてくれたのが最初でした。
その後一ノ倉沢は幾度となく通うことになり、怖い思いも幾度となくしました。ザイルワーク、ビレーワーク、ルートファインディングなども手取り足取り教えてくれました。やがて行動範囲は八ヶ岳、南北アルプス、剣岳と広がっていきました。次第に若手だけでザイルを組むようになり、冬の谷川岳や穂高の岩場にも挑むまでになりましたが一人前に育ててくれたのはTさんのおかげでした。
一緒にヨーロッパアルプスに行ったのも懐かしい思い出です。走馬灯のように、というと陳腐ですが、昔の登攀の一コマ一コマが甦ってきます。思い返せば、岩をやっていたのは、若い頃の一時代だけでしたが、鮮烈な思い出です。その後はハイキング程度の山歩きに戻っていきました。
今ではもうその山歩きすらしなく、(出来なく?)なってしまいました。岩の経験が何か役に立った? そんなことはまずありません。しかしながら自分の限りある人生に彩というか深みを与えてもらった感覚はあります。
あのどこまでも陽性で、時には大風呂敷を拡げるような人を惹きつけるリーダーTさん。あの世でも熱く山のことを語っているかもしれません。Tさん有難うございました。
合掌