学問と音楽~旅の歌から学ぶ~北山 修

第40回日本皮膚臨床皮膚科医会:臨床学術大会での文化講演は2題あり、一つは「北里柴三郎のひととなり」で、もう一つは標題の「学問と音楽~旅の歌から学ぶ~」でした。演者は北山 修先生で、白鳳大学 学長 というより、我々世代には「ザ・フォーク・クルセダーズ」で一世を風靡した作詞家としての方が、しっくりきて懐かしい気がします。
 いまや単なる一精神科医を通り越して、大学学長にまでなられているのですね。ちょっと驚き。でもここのところ、彼の独特な講演に接する機会があり、精神科医として音楽、旅を通して日本人の「はかなさ」「もののあわれ」「浮き世」などの人生論を話され、その内容は深く心に染み入り、平々凡々と過ごしている日常から一寸立ち止まって人生とは、と思いを致すところがあります。
話の内容は講演の抄録として纏められていて、そのままここに転記した方が正確で余計な雑なつけ足しをしないのが良いに決まっていますが、それだと無断転載になってしまいますので、参照しながらの講演の印象記を書きたいと思います。
とは言ってもやはり、本人の説明に優るものはないので一部引用させていただきます。(これくらいは許されるかな?)
 古来、多くの歌人が歌を作ってきましたが、その多くは旅の途中で生まれました。「百代の過客」といった芭蕉を引くまでもなく、多くの歌人、詩人、俳人の羇旅の作品が多くあります。現代のミュージシャンも旅の途上で名作を紡ぎ、パフォーマンスを行い、出会いや別れを歌にしてきました。
「さて、半世紀ほど前、1960年代は私たち「団塊の世代」がちょうど青年期で自立の時を迎えていた。同時に新幹線が走り始めて、大量の日本人が旅を始めた。これに応えるようにして、旅の歌が数多く生まれた。例えば知らない街を旅する「遠くへ行きたい」では、作詞の永六輔さん自身がさすらう旅人であった。ブロードサイド・フォーの「若者たち」は、旅立ちの歌として強い印象を残した。岸洋子さんの「希望」では、希望を探す主人公は汽車で旅に出ながら、着いたら希望は立ち去っていて、旅はまだ続いた。私の作った「風」では、何かを求めて振り返っても風が吹いているだけだった。私たちは実際の旅だけではなく、人生という旅の顛末も歌っていたのだ。70年代になると、チューリップの「心の旅」、中島みゆきさんの「時代」、谷村新司さんが作り山口百恵さんの歌でヒットした「いい日旅立ち」と次々名曲が生まれ、寅さんも木枯らし紋次郎も繰り返し旅に出た。・・・」
 北山氏はいいます。日本人の歌はどこかに出かけて行っても、帰ってはこないんですね。目的地がない、着いたと思ったらまた先にさまよい続いていく。まるで人生のように。日本人の精神構造には水面に漂う浮草みたいな「はかなさ」「寂しさ」があるんです。西洋ではそうではない。ちゃんと帰ってくるんですね。ハッピーエンドを好むんですね。帰るところがあるというのはキリスト教の影響もあるのかもしれない。我々日本人は古来人生を「浮き世」「憂き世」ととらえ、旅立ちや望郷、旅の途上の歌を紡いできました。しかし目的地についた歌はないのです。それは人生の目的地に辿り着いた旅人はもうこの世にはいないからです。この世に残されたものにはその歌が聞こえないのです。
しかしながら、最後に北山氏はこうも述べられました。それでは、このはかなさ、浮草のようなうつろいはどうしようもないものなのか、しかしだからこそ、今を生きる、人と人との出会い、一期一会を大切にしなくてはならないと。
 確かにこの歳になると、友人、知人の訃報をよく耳目にします。それも先輩諸氏ならばまだしも、自分より若年の知人の訃報も舞い込んできて愕然とすることもあります。人生ははかなく、フッとこの世から消えていなくなることを実感します。普段、何も考えずに(あえて人生の終末から目を背けて)生きていますが、一寸立ち止まって人生を問い直すいい機会になりました。それにしても青春時代の懐かしい歌とともにあの頃の甘酸っぱい思い出が蘇ってきて、何ともいえない満ち足りたひと時でした。
(正確に氏の言わんとする処を理解して伝え、書いたか自信はありませんが、乞うご容赦。)