槍ヶ岳

先日、夏休みをとって、槍ヶ岳に登りました。若い頃登ったきりで数十年ぶりでした。
槍ヶ岳ロッジに泊まってゆっくり登って行ったのにもかかわらず、最後の登りはバテバテでした。ここ数年、足腰、体力の衰えを如実に感じます。腰痛、膝痛などを口実に日頃の運動も滞りがちで、昔取った杵柄が役に立つわけもありません。後続に追い越されながらゆっくり登っていきました。
槍の穂先を眺めながら、20代の若い頃友人と登った北鎌尾根のことを思い出していました。晩秋の尾根はまだ夏道もでていましたが、尾根の上部は雪になっていました。当時の山日記を見ると(あの頃は真面目に日記をつけていました)
「予想に反して、雪は少なく、夏道もでていてルートさえ間違えなければ技術的には問題ない。むしろ20Kg以上の重荷を背負って登攀するのが大変」「雪と氷が顕著になり出したのは北鎌沢のコルを過ぎてから」「しかし自然条件が悪化したら、安全に通過出来るだろうか」などと書いています。若気の至り、というか、冬の岩壁も目指していた頃でした。
槍の冬季小屋はとても寒くて、沸騰したお湯をこぼすと立ち所に凍ってしまったことなど思いおこします。
あの頃「北鎌尾根」は憧れのルートでした。写真でみた格好良さ以上に、加藤文太郎や松濤明などが遭難した伝説の地でもあったからかもしれません。
もう、あれから40年以上も経ってしまいました。人間もくたびれるはずです。下りはゆっくりと降っていきました。そのせいか、登山道の傍らにある岩室に気づきました。槍ヶ岳開祖の播隆上人が何十日も籠って念仏を唱えた処とありました。
この道を播隆上人が開き、ウェストンや上条嘉門次が登って行ったのかと思うと感慨深いものがありました。
翌日は沢伝いの森の小径をそぞろ歩きに降っていきました。ゆっくり歩くと、朝日の木漏れ日や、小鳥たちの囀り、沢の音や風の音も目や耳に心地良く感じられます。朝露に光る山野草も目を和ませてくれます。体力の衰えた分、新たな山の愉しみもあるのか、山に在るだけで幸せな気持ちになれます。
そう自分を納得させながらも、やはり老いていきいずれは高山から立ち退いていくであろうという思いは寂しいものがありました。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

槍ヶ岳

播隆窟

播隆窟2

木漏れ日

木漏れ日2