中原寺メール11/2

【住職閑話】~いろは歌~
 戦後、旧仮名遣いから新仮名遣いになったので「いろは四十七文字」は古典を学ぶ時以外にはあまり関心がなくなってきているように思います。
 今「あいうえお」の五十音は小学校入学前から教えられますが、ただ音(おん)や字を覚えるだけで知識の教育に偏っているように思うのは私の偏見でしょうか?
 明治になって「学問のすすめ」を柱とした新しい日本の建設は、それまでの心を育てる教育から頭を重視する方向に舵を切ったといえます。
 かつて手習いの手本は「いろは」でしたから、最初をあらわす諺として「いの一番」が生まれ、今でもこの言葉は使用されています。
 仏教と深い関係のある「いろは歌」の意味をご存知でしたら、是非、知らない子どもたちに教えてあげて下さい。人生とはどういうものか、「勝か負けるか」「損か得か」「役に立つか役に立たないか」「善か悪か」といった二極化を教え込まれる人生は表面的価値のみを追求する誤った分別の世界です。
 仏教は「見える世界は見えない世界によって支えられている」ことを気づかせる、それは「考える人間になる」ということです。
 それでは「いろは歌」を通してこの世の真実の姿を学んでみましょう。
 
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
(色は匂えど 散りぬるを わが世誰ぞ常ならん 有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔いもせず)
有為(うい)の奥山とは、無常の現世をどこまでも続く深山にたとえているのです。つまりこの人生も、この世界も すべてが実体がない。そのようなものに夢をいだくのは愚かな煩悩である。そんな夢など見ないようにしたい。幸福や希望に酔ったりはしない。という意味なのです。

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