中原寺メール1/24

【前住職閑話】~二つの多生の縁~

「袖振り合うも多生の縁」という有名な諺(ことわざ)があります。
「道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ」という意味ですが、ちょっとした出会いを大切にするひとがいるとほのぼのとした気分になります。
毎年1月の9日から16日まで京都の西本願寺で勤められる「ご正忌報恩講(宗祖親鸞聖人のお祥月命日)」に、今年もお参りいたしました。その折には国宝の書院で「お斉(とき)」のご接待があります。仏教では、「食事(じきじ)」と呼んで、午前10時から正午までの間に食事をする習わしがあり、このときに出る精進料理を「斉(とき)」といいます。
寒く薄暗い国宝の間で燗酒と朱塗りのお膳でいただく格式のある精進料理は格別な風情があります。私の隣りに座られた女性は始めてということで緊張されておられたところを私に声をかけてもらったことがとてもうれしかったようです。名刺の交換から本願寺系の女子大学の事務局長になられて間もない方でした。
しばしの間でしたが、その大学のことについて話題としながらお斉の時間を共にしましたことから、つい先日その人から丁寧なお礼の言葉を添えて大学のいろいろな資料やら記念コンサートのDVD等を送ってくれました。
まさしく「袖触り合うも多生の縁」を大切にするひとだなとあったかい気持ちになりました。
もう一つの「多生の縁」は昨日のことです。
お寺に来られる方はなるべく丁寧に応対しますが、その男性は礼儀正しく、名前と年齢を名のってから「だいぶん前に近くに住んでいたことがあり、高校生の頃祖父母に連れられてこのお寺に来た覚えがあるとのこと。今は九州のほうに一人住んでいていろいろな事情があって横浜の親戚に会うことになったが不在でここまで来てしまった。申し訳ないがカプセルホテルに泊まる少しの金を貸してもらえないか…」との事。
こちらの「袖振り合うも多生の縁」は、どうも後味の悪い出会いでした。