納棺夫日記

先日、親鸞聖人七百五十回大遠忌法要が中原寺であり、長い無沙汰の罪滅ぼしも兼ねて出席してきました。
その日の記念講演は青木新門氏によるものでした。
氏は1993年に「納棺夫日記」を上梓した作家です。ご存じの本木雅弘主演の「おくりびと」の原本になった本ですが、彼とのかかわり、本、映画のことについて講演されました。一般に知られざる逸話も多く語られ、興味深い講演でした。
最初に5月に500部程刷っただけなのに、11月に本木氏から突然電話があり、「インドのベナレスに行って来ました。写真集をだしたいのですが、その中で青木氏の一文を引用したい」との内容だったそうです。ベナレスはヒンズーの聖地で、ナム法典のマニュアルに家住期、林住期、遊行期があり、死期を察した人々が臨終の地として各地から集まってくる聖地だそうです。不思議なことに彼らの目はきらきらと輝いているそうです。それは来世を信じているからだといいます。そこでは365日荼毘の煙が途絶えず、ガンジス河には捨てられた死骸の手足が浮いているそうです。その近くで沐浴する人々がいる生と死が当たり前のように繋がった土地だそうです。そして、氏の許可を受けて本木氏はよりによって青木氏の本の中で「蛆(うじ)も命なのだ。そう思うと蛆たちが光ってみえた」という部分を引用したそうです。若いのに(まだ26歳位だったそうです)、しかも少し前までアイドルとしてもて囃されていたのに、いい感性を持った俳優だと思ったそうです。そのうち、本木氏は書道5,6段の達筆の毛筆で、「考えているうちに映画化したいと思うようになった」と手紙をよこしたそうです。
青木氏は「お葬式」のようなものなら可能だが、茶化した映画なら御免蒙りたい、ライフワークとして考えるなら何年かかっても一人でおやりなさい、他に権利を渡す事もないから、と返答したといいます。それから5,6年間は音沙汰なしだったそうです。7年目に有能な若手の脚本家を得て制作委員会がたち上がり映画化が本格化したと連絡がはいったといいます。
ただ、その内容を聞くと、舞台は富山ではなく山形で鳥海山がでてくる、実際の仕事はお手伝いでお金は貰わなかったのにそうなっていない、主題が父と子のヒューマニズムのようになっており、死生観、後世を語っていないなど「カチン」とくる部分が多く映画化を断ったとのことです。しかし本木氏本人が雪の富山まで訪ねてきて懇願するので、青木の名前をはずす、題名を変える、という条件で許可したとのことです。
その後1年たって試写会があり、その後は誰もが知るようにあっという間に大ヒットとなりアカデミー賞に輝くまでになったとのことです。
誰も青木氏の事を知らなかったはずなのに受賞後のインタビューで本木氏が青木氏のことをぽろっとしゃべったそうで、翌日から報道機関の電話が急に鳴りっぱなしになったといっていました。
映画をみて良くできていると感心したそうですし、本木氏の人物も高く評価されていましたが、やはり映画は映画、本は別物と考えているとおっしゃていました。やはり、文人の気骨というか、後世の一大事を問うたものとは異なるということなのでしょう。氏は親鸞聖人の御教えに出あって「納棺夫日記」を著したので、その部分を完全に削除されては納得いかなかったといいます。中原寺住職との出会いも勿論親鸞聖人を介してのものでしょう。(1999年の中原寺の文化講演会の講師として青木新門氏が招かれている)
ある時の住職のひとこと法話に事の本質が語られていました。
 『たしかに、映画では死後何カ月もたった死体のシーンはありましたが、「蛆も命なのだ、そう思うと蛆が光って見えた。」という最も大切な、青木さんが感得した「いのちの平等性」は表現しようもありません。
 仏教に深く帰依し、念仏者としての道を歩む青木さんが「納棺夫日記」で読者に知ってほしいのは、死者たちに教えられた真実の「光」なのです。その「光」は仏さまによって導かれた智慧の眼です。
 すべてを分別してしか見ようとしない人間のおろかさ、その生者中心の眼差しの闇を知らせることなのではないでしょうか。』
 当日はもう一つ、中原寺第十七世住職継職奉告法要がありました。現住職の引退、継職法要という行事です。ある意味、小生にとってこれは重要な行事でした。長いこと我が家をみていただき、父の葬式も務めていただいた住職の引退は感慨深いものがありました。たまにですが、心に沁みる深い話を聴くことは喜びでした。父は戦前この地の化研病院で育てられ、戦後田舎に移り住み長いこと町医者を務めました。その後縁あって古巣の化研病院に戻り、この地で生涯を閉じました。住職、奥様(坊守というそうです。)には色々とお世話になったり、父もまた医者として面倒をみたりしていたそうです。そういった意味でも感慨深いものがありました。これからは、前住というそうですが、まだまだお元気そうですし、いつまでもお元気で中原寺メールも続けて頂きたいと思いまいた。
また息子さんの新住職も凛々しく決意を述べられていました。これから両人で寺と門徒を盛りたてていっていただきたいと思うこと切でした。

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