木下杢太郎ー百花譜 百選

木下杢太郎は若い人、あるいは皮膚科医でも知らない人もいるかもしれないが、太田母斑(これを知らなければ皮膚科のモグリといえる)の太田正雄、その人である。
太田正雄伝については、かつて皮膚科の臨床で2人の皮膚科の先生が随想として評伝を連載されていた。
「杢太郎」落穂拾い(上野賢一 筑波大学名誉教授 皮膚科の臨床51(1) 2009~55(4))
2013年 上野先生がお亡くなりになった後を継いで小野先生が
太田正雄/木下杢太郎 世界的で、人道的で(小野友道 熊本大学名誉教授 皮膚科の臨床55(5) 2013~59(3)2017)を皮膚科の臨床に連載されていた。
小野先生の初回の評伝より
「太田正雄(明治18年[1885]~昭和20年[1945])は太田母斑の太田である。土肥慶蔵の後を襲って東京帝国大学皮膚科教授となった。詩人・劇作家・翻訳家・キリシタン研究家などとも呼ばれ多彩な活動をなした。文芸的活躍でのペンネームが木下杢太郎であった。・・・」
当ブログの名前の由来は上野先生の落穂拾いからとったことは以前にも述べ、医学者としての太田正雄の足跡はブログに書いた。その際木下杢太郎のことはいずれ纏めたい旨書いたが、とても自分の能力の及ぶとことではないと悟った。的外れな記事を書くよりも、木下杢太郎全集や詩集、画集に直接触れてそのものを味わって頂くのが最善の方法と思うに至った。
あるいは、若い医学者は当直の合間にでも医学書を紐解く手を休めて、書棚から皮膚科の古い本を引っ張り出してお二人の随想を読んで頂きたい。
文化人としての太田正雄の人となりを知れば、また太田母斑のダーモスコピーや病理の教本の読み方にも新たな感慨を覚えるかもしれない。
医学者ではなくても、若き日の木下杢太郎の詩や百花譜に触れれば、この文人の稀有な才能に驚きを抱くかもしれない。
(むろん、皮膚科医としても超一流で世界の教本でNaevus of Otaの記述のない本はまず無く、フランスにおいては真菌の本でレジオン・ド・ヌール勲章を授かり、ハンセン病の研究でも時代の先端を行っていたのに、還暦の祝いでは東大に来てから何もしなかったと述べている。
天は二物を与えず、というが太田には二物も三物も与えたようである。その有り余る幾多の才能のために終生その生き方にまよいを想い、不全感を抱き続けていたように思われる。)
世の中はコロナ禍とあって、皆自粛の日々が一年以上続いている。ステイホームが喧伝され、また最近は変異株による第4波が押し寄せてきているとの報道もある。
時代、状況は全く違うが、現在の閉塞感は晩年の戦時下の頃の杢太郎と一種あい通じるところがあるかもしれない。
百花譜は杢太郎が昭和18年3月から亡くなる年の昭和20年の7月までの最晩年の戦時下で描き遺した植物の写生872枚の図譜から澤柳大五郎氏が100枚を選んで百選としたものである。
『昭和18年3月10日のまんさくに始まり、20年7月27日の山百合の絵で終わっている。その最後の一葉には「昭和20年7月27日、金、胃腸の痙攣疼痛なほ去らず、家居臥療。安田、比留間此花を持ちて来り、後之を写す。運勢たどたどし。」といふ識語があり、その後遂に筆を執ることなく、3週後に日本の敗戦、そしてその年の10月15日、還暦後わづか二箇月余にして著者は長逝した。』(澤柳大五郎 百選の後に より)
路傍の可憐な雑草や生活圏の草木が主体で、花屋の店頭を飾るような華麗な花は殆ど含まれていないという。戦時下、空襲が続く灯火管制の最中、終日公務に携わった後の夜の寸刻を割いて書き続けられた植物図譜は、どのような心境を反映したものだったのだろうか。
小野先生は、「戦時下で食糧難に際し、食用植物を纏めて、一般に正確な指針として示すという動機はあったかもしれないが、杢太郎の抑えに抑えた怒りを百花譜の裏に感じるのである、」と述べておられる。「特に日記とあわせて考えると、厳しい戦争批判を日記に書き留めながら、一方で夜更けに無心でその日の野草に静かに語りかけながら心の安寧を求めていたのではないか、」とも。
ある日防空壕で医学生に語ったという言葉。「君たちは勉強しているか。こういう時局だからこそ、勉強しなくちゃいけない。朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。いま、まさに否応なしにその状況に置かれているんだ。・・・いくら知識を積み重ねても、それでは知識の化け物になるだけだ。それではいかん。人間のためになるようにするにはどうすればいいか。知恵が必要だ。では知恵を学ぶにはどうすればいいか。古典に親しむことだ。古典には人類の知恵が詰まっている」そう言うと、杢太郎は立ち上がり、風のようにさあっと去っていった。
極限に置かれて人間の真価が問われ、その人の真髄が現出するように思われる。正に世界的で人道的でゲーテを範とするような人物像の真骨頂を見るようである。

時に百花譜を眺めながら杢太郎の想いの一端に触れてみたくなるこの頃です。


絵はまんさくの花から始まります。山本五十六元帥の訃報に際しての記述もあります。絵は繊細、精密で、植物画の専門家も感嘆するほどデッサンに崩れがないとのことです。

よければ過去のブログも参考にして下さい。

太田母斑 2013.12.20
落ち穂拾いのこと 2017.11.20
太田正雄のこと 2017.12.2
太田正雄のエピソード(1) 2018.1.5
太田正雄のエピソード(2) 2018.1.23