ハンセン病

 ハンセン病はらい菌によって主に皮膚と末梢神経を侵す慢性抗酸菌症です。現在では国内での新規発生者数はほぼ無く、アジア、アフリカ、南米などからの来訪者の増加に伴って、それらの国からの在日外国人の発症が年間数名程度はみられます。
 このように日本でのハンセン病は終焉を迎えつつありますが、歴史的にハンセン病は太古の昔から人類に深くかかわってきました。中世では宗教的にまた外見上の変形などによる偏見・差別を受けてきました。1873年にらい菌が発見されると、公衆衛生の立場から隔離政策がとられるようになりました。本邦では明治時代に入ると諸外国から患者を放置しているとの非難を受け、国は隔離する法律を制定しました。更に1931年には「癩予防法」を制定して全国に国立療養所を配置し強制隔離してハンセン病を絶滅させるという方策をとりました。小笠原登医師など一部の大学人などは反対の立場をとりましたが、多くの医師は国の施策に同調していきました。
戦後になって、不治の病ではなくプロミンなどの特効薬が出現したにも関わらず、1948年に成立した優生保護法が同病も対象となり断種が行われました。1996年になりようやく「らい予防法」は廃止されました。しかしながらいまだに社会における偏見・差別は残っており、社会復帰できずに療養所で暮らす人々の高齢化が問題となってきています。また世界的にみて、減少してきてはいますが、年間21万人強の新規患者があり、特に熱帯地域では問題になっており、WHOもskinNTDs(Neglected Tropical Diseases)の代表疾患と定めて撲滅に取り組んでいます。
年間の新患数(インド12万人、ブラジル2.6万人、インドネシア1.5万人、バングラデシュ4000人、ネパール3200人、フィリピン2000人、ほかアフリカ諸国)

参考文献

ハンセン病の現状 石井則久: 臨床皮膚科 73:660-661,2019

ハンセン病から学んだこと 山口さやか: 臨床皮膚科 74:480-481,2020

ハンセン病患者の強制隔離に抗した医師の生涯
大場 昇 著「やがて私の時代が来る–小笠原 登伝」を読んで
田上八朗: 臨床皮膚科 62:425-427,2008