青葉の森公園

青葉の森公園に行ってきました。先週は満開の桜が咲き誇っていましたが、1週間経つと、もうすっかり葉桜になっていました。そのかわり八重桜が鮮やかな色で咲いていました。 先週も風が吹く度にはらはらと桜の花びらが散って美しいけれど、なにか寂しい感じがありました。桜は一年の中で最も季節の移ろいを教えてくれる自然の風物でしょう。だから、人は昔から桜を歌に詠みますし、残り少ない人生と感じるとあと幾度桜の花と巡り合えるのだろうと思うというのはよく耳にします。 「年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず」と古の中国人は詠みましたが、近年とみに年の過ぎていくのが速く、人の移ろいの早さを感じます。 桜の花がはらはらと散っていくと、井伏鱒二の「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」という句を思いうかべてしまいますが調べてみると元の詩は勘酒といい、 勧君金屈巵 (君に勧む金屈巵 ) 満酌不須辞 (満酌辞するをもちいず) 花發多風雨  (花ひらけば風雨多く) 人生足別離  (人生別離足る) 「さよならだけが人生だから、今この出会い、時間を大切にしよう」「今この酒を飲み干して今を楽しく生きよう」ということだということです。(ヨシザワヒトミテンペストより) 「さよならだけが人生だ」と悲観的な、せつな的な思いの詩ではなく、人生を肯定的にとらえて今を楽しみ生きていこう、という解釈になります。 会者定離の人生だけれども、友と語らい、酒を酌み交わす、そこに花があればなお良いと思いました。 a.jpgb.jpgc.jpgd.jpge.jpgf.jpg1.jpg2.jpg3.jpg4.jpg5.jpg6.jpg7.jpg8.jpg9.jpg10.jpg11.jpg

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)