【住職閑話】~ランデブー~
ランデブーとは今ではあまり使わない古い言葉かも知れませんが、ここのところ二匹の猫が毎夜8時頃になると玄関先に咲く満開の梅の木によじ登って愛を楽しんでいます。
私は正直猫はあまり好きではありません。どこからでも庭に入ってくるし、臭いおしっこをします。特に盛りのつくシーズンに呼び合う鳴き声は下品でうるさく、あっちへ行けと思います。
でもこの二匹は静かで、木の上や屋根の高い所をランデブーの場と決めたようで、何とも愛くるしいのです。「屋根の上のバイオリン弾き」の心境なのかもしれません。
丁度いま西の空には大きな金星と木星がお月様を中にして地球を照らしています。純愛を失った人間どもと違って、この二匹の猫は天空の二つの星とランデブーの競演をしているようです。
さて、仏教では人間の起こす愛は煩悩であって、渇愛とか愛欲とか愛憎とか愛着と表現されるように、人間の本能(自己愛・執われ)から生まれる罪の意識に苦悩せざるを得ないと申します。
好きなものはどこまでいっても独占したい、貪りたい、それが遂げられないと憎しみに変わっていく恐ろしさをもっています。
親鸞聖人は、「心暗く煩悩のはげしいことは、ちりのようにわが身にみちみちている。自分の心にかなうものはこれを溺愛し、逆に気にくわぬものはこれを瞋(いか)り憎んでいる。その激情のはげしいことは、ちょうど高き峯や山にたとえられる」と、はてしない愛欲に沈む姿を痛んでいます。