中原寺メール2/20

【住職閑話】~鍾馗って読めますか~
 立春が過ぎても今年の寒さは本当にきついですね。
とうとう風邪を引いて17日の夜と18日の午後からはベッドの中で過ごしました。今月はちょっと過密スケジュールだったかもしれません。
 ところで今は桃の節句を控えて雛人形がきれいです。吊るし雛も話題になって女の子の節句は賑やかです。
 お寺でも娘がロビーに段飾りを設けて、お参りの人たちの目にとまっています。雛人形の段飾りは昔も今も変わっていないようですが、端午の節句の段飾りは随分変化しているようです。
 私の誕生に買ってくれた戦前の五月人形は、今はお蔵入りになっていますが、上段には戦陣の武者人形があり、下段には左に真っ赤な顔をして髭もじゃの怖い鍾馗様(しょうきさま)、右に神武天皇がありました。
 デパートの人形売り場に聞いてみたら、もうこういう段飾りはないということでした。
 しょうきさま、しょうきさまとは覚えていましたが、まさか「鍾馗様」とこんな難しい字を書くとは、ついぞ知りませんでした。
そこで「鍾馗」なる人物を調べると次のようでした。
 『中国では広く信仰されていた厄除けの神で、唐の玄宗皇帝が病床に伏せていたとき、夢の中に小さな鬼が現れた。玄宗が兵士を呼んで追い払おうとすると、突然大きな鬼が現れてその小鬼を退治した。そしてその大きな鬼は、「自分は鍾馗といって、役人の採用試験に落第して自殺した者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」といった。目が覚めると病気がすっかり治っていたので、玄宗は兵士に命じて鍾馗の姿を描かせ、以来、鍾馗の図を門にはり出して、邪気病除けにするようになった』と。
 面白いですね。中国の民間信仰が戦前の日本の端午の節句に及んでいたなんて。それも室町時代からのようですね。
しかも、戦前、日本の陸軍二式単座戦闘機に「鍾馗」という名が付けられていたとは。
 戦後の時代は、まして現代では鍾馗様なんて知る人ぞなきでしょうか。
なんでも勇ましいものを強調した昔と比べ、草食系と言われる今の時代の変遷をしきりと覚えます。

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