中原寺メール4/20

【住職閑話】~憶念~
 今月14日に亡くなった三国連太郎はとても好きな俳優でしたから、その死にあたっていろいろと考えています。
特に年をとってからの温かな深みのある風貌は、なんともいえない重厚さが滲み出てひきつけられました。
 一作一作ごとの役柄への異常なほどの執念はよく知られたところですが、あの人間的魅力は90年という人生の積み重ねから自然に醸しだされたものなのでしょうか。  
闘病生活中にも演技について書き残していたメモが見つかったようですが、とても興味深い幾つかがあります。
「過ぎた日は再び迎えられない。演技もまったく同じであるように再現できない運命的な『物』である。コピーできない演技とは経過そのものであったと50年目にやっと認知した。遅かった。」
ここには最後の最後まで孤高の役者を追及して止まなかった厳しさを見る思いがします。
そして死の二日前、ふいに「港に行かなくちゃ。船が出てしまう。」と口走っていたという。それは何を意味していたのかは知るよしもありませんが、親鸞聖人に傾倒していた三国連太郎からすると、私の勝手な想像に過ぎませんが、次の和讃の一首が思い浮かんでしまうのです。
「弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ 生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ」(阿弥陀仏とその脇士である観音、勢至菩薩の三尊は、かならずすべての人々を救いとるという本願の大船にのりこんで、生死の海に浮かびながら、迷いおぼれる私たちを呼んで救うてくださるのである) 
死に臨んで、何が頭をよぎったのでしょうか?
「日輪没する処、明星輝き出ずる如く、人生の終焉は永遠の生の出発である」という言葉をあらためてかみしめています。
三国連太郎の生涯を思う中に、ただいたずらにあかし、いたずらに暮らして老いの白髪となれる吾が身とは、あまりにも雲泥の差を感じるばかりです。

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