プラハにて(1)

プラハに来ています。プラハは中世の佇まいを色濃く残した街で、ある意味では古いヨーロッパの街をそのまま現前に見せてくれるような感じがします。旧市街の中心のヴァーツラフ広場に面した所にホテルを取りましたが、ムーステクからムゼウムまでの通りはまるで中世のような建物が新しい建物とマッチして残っていました。ある本に次のように書いてありやや納得しました。 「多くの人々をこれだけ惹きつけるプラハはほどよい大きさの規模の中に歴史、文化、芸術が凝縮しています。その歴史はヨーロッパの歴史そのものであり、その文化・芸術はヨーロッパ全体の文化であり、芸術です。かつてプラハが神聖ローマ帝国の首都となった時に、ここにヨーロッパの粋を極めた文化・芸術がもたらされました。・・・ プラハに来るたびに思うことがあります。それはヨーロッパの中央にあって何世紀もの間に幾つもの大きな戦争に巻き込まれたのにもかかわらず、この町はなぜこのような歴史的景観を今日まで保つことができたのかということです。 第二次世界大戦ではナチス・ドイツに占領され、その後約四十年間は旧ソ連の影響を色濃く残す社会主義国となりました。第二次世界大戦でドイツ軍が侵攻してきた時も、そして「プラハの春」を弾圧するために旧ソ連軍がプラハ侵攻した時も、チェコ人はあえて思慮深く、静かに抵抗する姿勢を取り続けました。おそらくチェコの人たちは、流血の惨事で美しいプラハを損ないたくなかったからではなでしょうか。」 プラハ歴史散歩 日経BP企画 旅名人編集室 より EADV(European Academy of Dermatology and Venereology)の学会場はムゼウムから地下鉄で2駅めのヴィシェフラというところでしたが、ここはプラハ旧城のあるところで高い城という意味で、プラハ発祥の地だそうです。 いくつもの会場のうちちらっと垣間見ただけですが、その印象を伝えることができるでしょうか。(後で一寸書いてみます。) 屋台で食べた串焼きやソーセージにビルスナー・ビールはとても美味しかったです。フランクフルトから約1時間位の近さですから、ほとんどドイツ文化圏なのでしょうかね。
メイン会場.JPG会場.JPG会場からa.JPG会場からb.JPGヴァーツラフ広場1.JPGヴァーツラフ広場2.JPGヴァーツラフ広場3.JPGヴァーツラフ広場4.JPGヴァーツラフ広場5.JPGプラハの春の2人.JPG塔の上.JPG

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