抗糸球体基底膜抗体病

抗糸球体基底膜抗体病(抗GBM病、anti-GBM disease)とは、抗糸球体基底膜(glomelular basement membrane: GBM)抗体によって引き起こされる予後不良の腎・肺病変です。
2012年のChapel-Hillコンセンサス会議(CHCC2012)では免疫複合体型小血管炎に分類されています。皮膚症状はきたさないために皮膚科教本では取り上げられることはないのですが、重要な一項目ですので、血管炎症候群の診療ガイドラインより、調べて抜粋してみました。
(抗GBM病はⅡ型アレルギーの代表ともいえる疾患で、Ⅲ型アレルギーの免疫複合体型小血管炎とは若干機序が異なると思うのですが)

同症は、腎型、肺型、腎肺型の3型に分けられますが、歴史的には1919年にGoodpastureがインフルエンザを契機に肺出血を生じた症例の報告から始まり、Goodpasture症候群と呼ばれてきました。
この中で、抗GBM抗体型急速進行性糸球体腎炎(rapidly progressive glomerulonephritis: RPGN)は予後が最も悪く、1960年代では生命予後はほんの数%でした。その後ステロイド、免役抑制剤、血漿交換などの治療法が進み、大幅に改善されてきましたが、現在でもなお予後不良の疾患であることに変わりはありません。
【発症機序】
抗GBM抗体の対応抗原は、糸球体基底膜や肺毛細管基底膜に分布するⅣ型コラーゲンα3鎖のC末端にあるnoncollagenous domain 1(NC1ドメイン)に存在しN末端側17-31位のアミノ酸残基(エピトープA: EA)とC末端側127-141位のアミノ酸残基(エピトープB: EB)が同定されています。EBを認識する抗体が重症度と関連するとされます。通常はこれらのエピトープはⅣ型コラーゲンの内部に隠れていますが(hidden antigen)、感染症(インフルエンザなど)、喫煙、吸入毒性物質(有機溶媒、四塩化炭素など)の影響で肺・腎の障害が生じると、α鎖6量体が解離してα3、5鎖のエピトープが露出して、抗原抗体反応が生じると考えられています。引き続きその基底膜部ではTリンパ球介在型の免疫反応が生じて、炎症反応が進展するとされています。そして基底膜部の破綻と血管炎のために、病態が進行、悪化すると考えられています。
抗GBM抗体は軽度腎機能低下でも健常人でも見られることがあります。しかしこの場合はサブクラスのIgG2,IgG4であるのに対し、患者では高力価のIgG1,IgG3も検出されます。また病因との関連は不明なものの、約20〜30%の間者にANCAが陽性となることが知られています。
【病理所見】
腎糸球体では高度の半月体形成性壊死性糸球体腎炎の組織像がみられます.ボウマン嚢の上皮細胞の増殖、炎症細胞浸潤、フィブリンの析出などがみられます。蛍光抗体法では係蹄壁に沿ったIgGの線状沈着がみられます。
【症状】
倦怠感や発熱、体重減少、関節痛などの非特異的な全身症状がみられます。これらに併せて腎炎、肺出血などの特有な症状がみられれば、同症を疑いに置くことが重要です。腎炎、急性腎障害が進行すれば浮腫、乏尿・無尿、高血圧などが、肺病変が進行すれば、血痰、喀血、呼吸困難などの症状が出現します。
【検査所見】
ほぼ全例で腎炎所見、血清クレアチニン値(Cr)の上昇、CRPなど炎症所見の上昇をみます。抗GBM抗体はほぼ陽性に出ますが、稀に検出できない場合もあります。抗体値は病勢と相関します。血清Crの値は予後に関係します。血清Cr値が5.7mg/dL以上の場合は予後が不良となります。
【治療】
抗GBM病の治療は肺・腎の臓器病変の有無と重症度によって規定されます。
・急性期寛解導入
通常1mg/kg/日のPSL(メチルプレドニンによるステロイドパルス療法)、静注シクロホスファミド(IVCY 500~750mg/m2/月)または経口CY(1~2mg/kg/日)および血漿交換療法の3者併用療法を施行します。
・慢性期維持治療法
初期治療後は徐々にGCとCYを減量し、通常GCは6〜9ヶ月間、CYは2〜3ヶ月間継続します。
抗GBM病は病勢が非常に高いために急速例は、透析療法、人工呼吸管理が必要となるケースもあります。重篤な疾患ではありますが、抗GBM抗体が陰性となり、臨床的に寛解に至れば、その後の再燃は希とされています。

Goodpasture症候群ときいて思い出すのは木之本興三氏のことです。
サッカーに詳しい方ならば、特に創生期のJリーグを知る方にとってはレジェンドともいえる人物です。
Wikipediaを見るとだいたい次のような記述があります。
「1949.1.8-2017.1.15、千葉県千葉市出身のサッカー選手。県立千葉高から東京教育大学に進学、同卒業後古河電気工業に入社。当時の監督は川淵三郎、一年先輩に永井良和(年齢は下)。
1975年 新婚直後、サッカー練習中に突然肺出血しグッドパスチャー症候群と診断される。腎臓摘出手術を受ける。以降週3回の人工透析が欠かせない体となる。
古河電工サッカー部退部、休職。
1983年 古河電工退社。
日本サッカーリーグ(JSL)事務局長、総務理事
1993年 森 健兒と共に、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)創生のほとんどを担った。
2002年 2002FIFAワールドカップ日本選手団団長
大会期間中にホテルで倒れ、一時意識不明となる。バージャー病と判明、下肢切断の手術を受け、車イス生活となる。此の期に及んでも終生タバコは止められなかったようだ。
2003年 Jリーグ専務理事、日本サッカー協会常務理事を解任される。
2017年 うっ血性心不全のため千葉大学医学部付属病院にて死去。」
難病に侵されながらの、日本のサッカー発展への情熱、その卓越した業績は様々な人の彼への賛辞からうかがい知れます。
小生は実は彼の人生のそのほとんどは、実際には知らなかったのですが、かつて大学時代にサッカー部の夏合宿で木之本さんのコーチ指導を受けた思い出があります。酷暑の検見川グラウンドで合宿に参加していました。ヘタレ部員の小生はチンタラボールを追っかけていました。コーチの「お前やる気あるのか」という叱声を受け、鬼コーチと思ったことがありますが、今にして思えば素人部員にも手加減しない熱血指導だったのでしょう。その後のあのような試練をも跳ね返す壮絶な人生を全うしたすごい人なのだと知りました。

色々な人のコメントがありましたが、辛口評論家として知られるセルジオ越後氏の「その功績はもっと讃えられるべきだ」というコラムは一読に値すると思います。

余計なことかもしれませんが、Goodpasture症候群、バージャー病を患いながらもサッカーに人生を捧げた偉大な人物のことを付記してみました。

血管炎症候群ガイドライン(2017年改訂版) ーー日本循環器学会 より 抜粋 まとめ