エイズは今

今年の秋のEADVの講演の中でAIDSの治療についてのレビューがありました。普段皮膚科の講演会でエイズについての治療の演題など(多分)なく、セミナリーでも皮膚科関連の皮疹の解説であったり、梅毒との関連の講演が主でした。皮膚科医は診断には関わっても、治療は感染症専門家に依頼して自らは治療に携わってはいないと思います。
小生は最近のエイズ事情には疎く、ほぼ素人同然ですが、死に至る恐い病気と思っていたのが、近年の治療の進歩で慢性の病気で治療はずっと必要だが死に至る病ではなくなったという現実に驚き、目から鱗の感じでした。
それで一寸帰国後気になっていたところでした。
たまたま目にした皮膚病診療10月号のトピックスが独立行政法人国立病院機構大阪医療センターHIV/AIDS先端医療開発センター長の白阪琢磨先生の寄稿【「エイズ診療」について】でした。それにそって書いてみようと考えました。

エイズは梅毒の近年の爆発的ともいえる都市部の増加に伴って増加が危惧されてはいます。しかし、絶対数は日本ではまだ諸外国と比べて少なく一般社会での危機感、感心はそれ程高くはないように思われます。
しかしながら、たまたまでしょうが、このところエイズに関わる話題がにわかに多く報道されるようになりました。
真偽のほどは分かりませんが、AV女優にHIV陽性者がでて、業界の男優がパニックに陥ったとか。
また映画ボヘミアン・ラプソディーが大ヒットとなり、往年のクイーンのフレディ・マーキュリーが再び俄かに脚光を浴びてきたことで、エイズへの関心も高まってきた(?)こと。
さらに近日はあろうことか、中国からエイズになりにくい遺伝子を受精卵に導入しゲノム編集した双子の女児を誕生させたニュースまで飛び込んできました。(これも実は虚偽だと否定する報道もありますが)
ことほど左様にこのところエイズの話題はさかんです。今はネットをみると週刊誌的な興味本位の記事から厚労省の専門的、学術的な啓蒙記事まで情報が満ちあふれています。
小生がわざわざここに専門記事を書き写す必要もないでしょうが、一般の人は膨大な情報の洪水の中で何が本当の処か、つかみにくいのではないでしょうか。
それでここではエイズがウイルス疾患で性行為や血液などを介して伝染する病気だ程度の認識しかない人を想定して概要を書いてみます。ただ、免疫だの遺伝子だの専門外の医師ではなかなかついていけない部分もあるなかでは、一般の人には一寸読む気にもならないかもしれません。ただAIDSの歴史、現況だけは読み物として頭に入ってくると思います。
【AIDSの歴史】
1920年頃 アフリカコンゴの首都Kinshasa市でチンパンジーのレトロウイルスがヒトに伝染し、HIVが誕生したと現在では信じられている。
1981年 米国ロサンゼルスで元々元気であった若いゲイ男性5人がニューモシスティス肺炎という稀な普通免疫の低下した人が罹る肺炎に罹患したという報告がなされた。
同時期ニューヨークやカリフォルニア州の男性達にKaposi肉腫の発生が報告、次いで薬物注射常用者にもニューモシスティス肺炎が報告。
NEJM誌に米国大都市のゲイ男性に原因不明の免疫不全の集団発生があり、血中のCD4リンパ球数の著減が指摘された。感染症、栄養、薬剤などの原因が推定されたが確定されなかった。
1982年 共通の原因として性的接触が指摘されたが、その後血友病患者やハイチ人の発症もあり、米国疾病予防管理センター(CDC)がこの疾患を後天性免疫不全症候群(acquired immune deficiency syndrome: AIDS)と命名した。
1983年 男性患者のパートナーの女性でもエイズの発症が報告された。フランスのパスツール研究所、ついで翌年に米国で病原体としてレトロウイルスが発見された。
年末までにエイズ報告者は3000人を超え、うち1300人が死亡した。
1984には薬物注射を避け、注射針の共用を避ける勧告をした。年末までに約8000人の報告があり、うち4000名弱が死亡した。
1985年 米国食品医薬品局(FDA)はHIVの抗体検査(ELISA)を承認した。米国の映画俳優ロック・ハドソンがエイズで死亡した。彼の遺産が米国エイズ研究財団の設立基金となった。年末までに全世界から患者の報告があり、総数は2万人を超えた。
1985年 満屋裕明博士が世界で初めて抗HIV薬AZVの有効性を発見した。
1987年 AZVが臨床の場で認可されて、同剤の延命効果が証明されたが、副作用は強く、効果は限定的であった。
1996年 三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART 現在のART)の劇的な効果が報告された。
HIVのウイルス量をRT-PCRで測定できるようになった。
2007年 世界初のHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認された。

【HIVとAIDS】
HIVはhuman immunodeficiency virusの頭文字でエイズの病原体ウイルスのことです。レトロウイルス科レンチウイルス亜科に属し、HIV-1,HIV-2がありますが、世界に蔓延しているのはHIV-1です。それぞれの起源はチンパンジーとマカク、マンガペイなどの猿(霊長類)に感染していたウイルスに分かれるそうです。
HIVに感染すると(1)急性感染 (2)無症候性キャリア (3)AIDS発症 の3期の経過をとります。
(1)急性感染
HIVに感染すると、1ヶ月前後で約7割にウイルス血症に基づく感冒様症状が発生します。ただこれは未治療でも自然に軽快し次の無症候性キャリアの時期にはいっていきます。HIV感染初期には血液検査をしてもまだ結果が陰性となり、感染していることが分からない時期があります。これをウインドウ期と呼び、感染機会から約4週間といわれます。この時期を過ぎると血液中にHIVに対する抗体を検出できるようになります。そのため保健所などでは感染が気になる機会から3か月後の検査を推奨しています。このウイルスは性行為、血液媒介、母子感染で伝染するので、それ以外の例えば汗、唾液、公衆トイレ、プール、温泉などでは伝染しません。
HIVは多くは傷のある皮膚・粘膜から侵入していきますが、その際皮膚の樹状細胞やランゲルハンス細胞がHIVの初期の免疫応答、侵入、防御に重要な役割をもっていることが明らかになってきました。それを活用した治療、さらには予防薬も検討されています。倫理的側面は別として、今回の中国でのHIVに感染しにくい遺伝子導入によるゲノム編集ベビーの誕生もこの理論を応用したものかと思います。
(2)無症候性キャリア
この時期は無症状ですが、リンパ組織を中心にHIV感染による免疫能の障害が進行し、CD4の値は緩やかに低下し続けます。未治療だと約10年の潜伏期間ののち大半がエイズを発症します。近年は発症までの期間が短くなっている可能性も示唆されています。
(3)エイズ発症
CD4陽性リンパ球が200/μlを下回るころから種々の日和見感染症を呈するようになってきます。厚労省エイズ動向委員会の定めるエイズ指標23疾患に該当するとエイズと診断されます。ART療法が行われない場合は発症から約2年で死亡するとされます。
指標疾患(indicator disease)の概略を示しますが、皮膚科に関連する疾患も多く、診断のきっかけになる場合もあります(いわゆる”いきなりエイズ”)。概して普通の疾患よりも重症だったり、何か定型的でない場合が多いようです。
A.真菌症・・・食道・肺カンジダ症、ニューモシスティス肺炎など
B.原虫症・・・トキソプラズマ脳症など
C.細菌感染症・・・、肺結核、敗血症など
D.ウイルス感染症・・・サイトメガロウイルス、単純ヘルペス、帯状疱疹、伝染性軟属腫、陰部の疣贅、ポリオーマウイルス感染など
E.腫瘍・・・カポジ肉腫、非ホジキンリンパ腫、子宮頸がんなど
F.その他・・・反復性肺炎、間質性肺炎、HIV脳症、全身衰弱など
【治療】
1987年 米国で満屋裕明博士が世界初の抗HIV薬AZT(アジドチミジン)を開発しました。その後ddC,ddI,3TCなどの逆転写酵素阻害薬も開発されましたが、臨床効果は限定的でした。
1995年 サキナビル、リトナビル、インジナビルというHIVのプロテアーゼ阻害薬を含む三者併用療法(highly active anti-retroviral therapy: HAART)が承認されました。
1996年 RT-PCR法でウイルス量が計測できるようになりました。
2007年にはHIVインテグラーゼ阻害薬であるラルテグラビルが承認されました。
現在では、逆転写酵素阻害薬(核酸系、非核酸系)、プロテアーゼ阻害薬、インテグラーゼ阻害薬、侵入阻害薬の5クラスの抗HIV薬をガイドラインに従い、組み合わせ多剤併用療法が行われています。以前はCD4陽性リンパ球の低下をみて治療を開始する考えもありましたが、近年は治療薬の進歩もあり、副作用も少なく、早期治療の様々な利点が明らかになり、できるだけ早期の治療が推奨されています。
(但し、CD4数が500/μLより多い場合は医療費助成制度を使えない可能性もあるとのことです。)
ART療法の導入によって今やエイズの生命予後は飛躍的に改善され、もはや致死的な疾患ではなくなり、慢性疾患と呼ばれるまでになりQOLも大きく改善してきました。内服をすることによって他への感染を防止しうるまでになりました。しかしながら日和見感染症や悪性腫瘍のリスクは高く、抗HIV薬は一生飲み続けていくことになります。また近年は慢性例で軽度の認知症例が増加傾向にあり問題になっています。HIV関連神経認知障害(HIV Associated Neurocogenitive Dysfunction: HAND)とよばれます。きちっと内服を続けていた人が飲み忘れたり、いい加減になったりしたらこれを疑う必要があるそうです。
HIV治療法は年々進歩をとげ、現在では1日1回1錠の投与も可能になり、これからは1か月に1回の注射、1週間に1回1錠の内服でも可能になる治療法も期待されているそうです。

国内の現況を下の図でみると、ここ数年新規HIV感染者の数は横ばいのようです。しかし特に都市部での新規梅毒患者の発生数は爆発的ともいえるほどの増加傾向を示しています。梅毒などの性感染症に罹ると、HIV感染のリスクも数倍に増えるといわれていますので、本邦のHIV感染の増加が懸念されています。それに日本では症状が出て初めてエイズと診断されるいわゆる「いきなりエイズ」の患者さんが多いといわれています。それはすなわち本人はそれまでHIV陽性と全く気づいていなかったということです。日本人のHIV陽性者は実際は報告例よりもかなり多いとされています。性感染症に罹ったことのある人、懸念のある人は積極的にHIV検査を受けておいた方がよいでしょう。
【予防】
現在のエイズ治療はさらに進歩して、予防投与、感染初期の投与まで検討されるまでになりました。(曝露前予防投与,、曝露後予防投与)。無論予防には性交渉時のコンドームの使用が大前提ですが、ART療法によって血中ウイルス量が200コピー/ml未満とHIV未感染のカップルでは、コンドーム無しでの性交渉で感染を予防できうる報告までもなされるようになってきました.

 

斎藤 万寿吉 新興再興感染症の現状とその防御 梅毒とHIV/AIDS  日皮会誌 127:1523-1531,2017

白阪 琢磨 「エイズ診療」について 皮膚病診療:40(10);974~982,2018