落ち穂拾いのこと

再開するブログの名前を考えあぐねて、皮膚科落ち穂拾いとしました。
ことさらその理由など書くこともないかもしれませんが、そのいきさつを一寸書きます。
皮膚科の先生で「皮膚科の臨床」という雑誌を購読している方ならば、きっとああ、それは上野賢一先生が長らく連載されていた随想 【「杢太郎」落ち穂拾い】 から拝借したものだな、と気づかれるかと思います。
まさにその通りで、素晴らしい随想なのでいいなー、と常々思っていました。それを拝借してブログの表題にするのが、適切なのか、不適切なのかはわかりませんが。

杢太郎とは、木下杢太郎のことで、これは文芸的な活躍の場で用いたペンネームで本名は太田正雄といいます。
若い頃は北原白秋などと詩作を行い、劇作、翻訳もこなし、キリシタン美術に造詣が深く、英語、仏語、独語をよくし、その絵は玄人はだしでした。
しかし本職は戦前の東京大学皮膚科教授で、その名前は知らなくても、太田母斑と聞けば知っている人もあるかと思います。日本人の名前のついた皮膚疾患名はそれほど多くはありませんが、その中でNaevus of Otaは国際的に有名な疾患の中でその最たるものかと思われます。

それは兎も角、一般の方で《落ち穂拾い》といえばまずミレーの油彩絵画を思い浮かべることでしょう。単に貧しい農村の人々の日常を絵にしたものと思っていました。ところが実はウィキペディアをみると、深い意味があるとのことでした。欧州では麦畑の株を長い鎌で刈り倒して、フォークで集めて脱穀するのだそうですが、その際、集めきれなかった落穂が多数地面に残されます。当時は旧約聖書のルビ記に定められた律法に従って、貧農や寡婦などの貧しい人々の命の糧として、畑の持ち主は落穂を残さずに回収することは戒められていたとのことです。
その落穂は大切なもの、という考えととるに足らないものとの考えがあるそうです。また英語のgleaningにあたり、「情報や知識をすこしずつ集める」という意味もあるそうです。上野先生はこのような意味で使われたのかもしれませんし、膨大な杢太郎の足跡の一部しか辿れない、という謙遜の意味で使われたのかもしれません。
《落ち穂拾い》にそのような深い含みがあることなど知りもしませんでした。

このような経緯をよく考えてみると一介のロートル皮膚科医の備忘録のようなブログに無断で《落ち穂拾い》と表題の一部を拝借するのはますます不適切なような気もしてきました。
ただ、今は亡き天国の上野先生も小さなブログゆえ見逃して下さるだろう、と勝手に推し量りました。
小生の思いは、皮膚科の時々の、遠近の話題を取り上げて、自分の備忘録としたいとの思いです。《落ち穂拾い》としてそこに皮膚科の大先達へのあこがれの匂いが含まれたらいいな、との思いもあります。