ボルツァーノはごく小さな街でした。しかしその地域の中心都市でもあり、昔からの文化の歴史を色濃く残した南チロルの古い街です。この街はドロミテ街道の西の端に位置し、ここから東のコルチナ・ダンペッツオへと続く美しいドロミテ街道の西の起点になるところでもあります。
到着した翌日は、ロープウェイでソプラボルツァーノに登りました。一気に1000mも上ったレノンの町は台地状の小さな集落でここから100年以上の歴史を持つレノン鉄道が走っています。いってみれば小湊鐵道のような感じでしょうか。かつてのオーストリア・ハンガリー帝が夏の別荘への交通機関として建設したそうです。森の木立や牧草地を抜けてゆっくりと走っていきます。終点のコッラルボから、小1時間道路を歩き、ピラミッデ・ディ・テッラへ。長年の風化作用で櫛形状に尖った奇岩群が見えました。駅にとって返し、バスで更なる高みへと向かいました。ロープウェイを上に上れば、レノン山下に着きます。リットナー山頂までのリフトは夏場は止まっていましたが、山腹の広々とした草原は家族連れも三々五々に歩いていました。途中のベンチは風が心地よく、遠くにマルモラーダやサッソルンゴ(?)などのドロミテの山々が望めました。
途中のロープウェイで、レバノンからパリに来ているというカップルと一緒になりました。世話話をして、別れてから、小生はカフェレストランでビールを頼みました。くだんの2人もやって来て何か頼んでいるようでした。暫く休んでトレールの展望台に行くとまた彼らです。3度も会うなんて奇遇だね、食事しなかったの、と聞くと豚肉料理がダメだったようです。豚肉とアルコールはダメとのこと。飲んだ事ないの、アルコールは人生を豊かに、楽しくするよ、と言っても飲まないとのこと。少しぐらい飲んでも分からないんじゃない、というと、やおら女性が神様は見ていらっしゃると。お見それしました。日本人の女性と友達だと言っていましたが、彼女は日本に帰ろうかとしていると。やはり英語だけで、フランス語が出来ないとパリで働いて暮らしていくのはキツイと言っていました。まさか、ゴーンさんの話とか、ガサの空爆の話しは避けて、オリンピックの話などして別れましたが、ずっと人と話していないと知らない人との触れ合いもいいものでした。
翌日は渓谷の反対側に位置するシウジの村へと向かいました。ガイドブックによると、シウジからオルティセイへのハイキングの記事もあり、花いっぱいの絶景を期待していましたが、ルートは色々あり、途中のカステルロットも良いらしい。あれもこれも、と欲を出したのが間違いの元でした。時間はたっぷりあるだろう、そこの頂上駅からシウジに回れるかも、など適当に考えて、リフトに乗りました。そこも中々に良いところで、町の見晴らしも良く、家族連れが日光浴をしながら休日を楽しんでいました。でも、そこから歩いてシウジまではとても時間的に無理そうで、また降ることにしました。ところが、下りのリフトでガイドブックは落としてしまうし、そこからアルペ・デ・シウジへのバスの便が悪い、少ないことに初めて気づきました。いつもの場当たり的な適当な癖がつい出てしまいました。
ロープウェイ駅に着いて、シウジからオルティセイへと行きたい、というとlt’s a long way, it’s too late.といわれまた同じ所に引き返してくる事になりました。ロープウェイ終点のコンパッチョからなだらかな草原を時間の許す限り登りました。伸びやかな草原はどこまでも広く、下の方では牛たちのカウベルの音も聞こえ、心地よい散策でした。5時までには帰れ、との事だったので帰りをいそぎましたが、パラパラと雨が降りはじめました。所が降りのロープウェイに乗りしばらくすると、雷鳴と共に土砂降りの雨、このまま歩き続けていたら、と思うとゾッとしました。この日はお天気で傘、雨具は宿に置いて来ていました。ロープウェイを降りるとあれ程の通り雨も上がっていました。結果オーライながら反省しきりの1日でした。街に帰り、中心のヴァルター広場の青空レストランで疲れをいやしました。明日はもうコルチナ・ダンペツオへと向かいます(続く)。