「念仏者として権力への姿勢を思う」
アメリカで二度目の大統領になったトランプ氏の言動に、今や世界中がふりまわされています。
一人の権力者によって人間社会は常に動揺が生み出されます。「権力」とは、辞書に「他人をおさえつけ支配する力」「支配者が被支配者に加える強制力」と書かれています。また他の辞書には「他人を強制し服従させる力」「特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力」とあります。
いずれにしても「権力」という言葉には嫌なイメージしか出てきません。
先日、偶々テレビの番組で「多様性社会に響く民藝」と題する番組がありました。「多様性」とは、個々の違いを尊重し、多様な人びとが共存する社会や組織を目指す考え方です。性別、人種、年齢、文化的背景、価値観、ライフスタイルなど、さまざまな要素が含まれます。まさに「権力」と「多様性」とは正反対のものを感じます。
柳宗悦が生涯追求した「民藝」を創始した「美の発見」は民衆的工藝の略字で、飾るために作った品物ではなく、生活の中から生みだされた工藝品なのです。
そして、各地の風土から生まれた生活に根ざした民藝には使用に即した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示しました。
民藝運動の起こりは、世界に工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。失われていく日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。
思想家であり仏教哲学者でもあった柳宗悦の民藝運動には河合寛次郎、浜田庄司といった人たちが加わりました。この運動は1926(大正十五)年に提唱された生活文化運動です。当時の工芸会は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。
そんな中、柳たちは、名もなき職人の手から生み出された日常の生活道具を「民衆的工藝」と名づけ、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。
当時の日本の政治は国粋主義が台頭し軍部による八紘一宇(太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語)による朝鮮や中国への侵略が著しさを増していった時代でしたが、柳は国家という枠を超えて個々の国や地方に伝わっている言語、文化、芸術に注目しその保護にも役割を果たしています。しかし同時代を生きた無政府主義者の大杉栄からは民藝運動は生ぬるいと批判されていたようです。その大杉栄は大学卒業後、社会主義運動に参加、国体を批判する危険人物(アナーキスト)だとして幾度か投獄されました。そして大正十二年の関東大震災の際、作家である内縁の妻伊藤野枝と大杉の甥であるアメリカ国籍の橘宗一(六歳)の三名が憲兵隊特高課に連行され、憲兵大尉の甘粕大尉らによって殺害されたのち、遺体は井戸に遺棄されました。
さて、こうした過去の歴史の事実と人物像を通して繰り替えされる人間の罪悪性と愚かさを考えずにはおれません。
二月二十四日はロシアがウクライナへ侵攻して三年目となりました。連日報道されてくる内容は、破壊と戦死者が増え続ける数字と悲しみに打ちひしがれる遺族の姿です。戦争はいかに愚かで勝者も敗者もない馬鹿げた行為といいながら、どうすることも出来ない人間ゆえの繰り返される業にただおろおろするばかりです。
仏教に救いを求めてその教えを人生の指針とする仏教者は、この娑婆の起きる不条理に対処せねばなりません。「不殺生」を中核とする仏教は特に戦争の愚かさを意識し不戦の思いで生きてゆくことが求められます。
かつて、先の太平洋戦争では高木顕明や竹中彰元といった僧侶が「戦争は罪悪である」と体を張って当時の体制に抵抗したことは有名です。しかし彼らの名誉が回復されたのはずっと後の事でした。
権力によって個々人の自由が封殺されるときは最も恐ろしい社会です。そうなってしまったらそのことについて個々に声を上げるのは真に困難であります。大きな濁流に飲み込まれてしまうのが事実です。
しかし支配権力に対する親鸞聖人の姿勢は『教行信証後序』に出てまいります。
「承元の年(親鸞三十五才)主上・臣下、法に背き義に違し、怒りをなし、怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の太祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えずみだりがわしく死罪につみす、或いは僧儀をあらため、姓名を賜うて遠流に処す。予はそのひとつなり。」これは若い時代の念仏弾圧を晩年に至るまで鮮烈に記憶し、いささかの妥協も交えず、国家権力に対する親鸞聖人の姿勢の原点を示すものと思います。
だからこそ私たちは、自身の幸せと自国の平和だけを享受するのではなく、仏法を主としてこそ見えてくる様々な人生の課題を御同朋(同じ念仏に生きる仲間)と一緒に共有し行動してまいりたいと思います。
あなたの身近な人が戦争で死んだら・・・?