宿縁 七月号 中原寺

  【あなたが必要とされる世界】

 

今年の四月一日に市川市の人口が五十万人に到達したそうです。市川の地に人が住み始めた歴史は古く、紀元前一四〇〇年の旧石器時代にはすでに人が住み生活していたようで、その後の縄文、弥生時代の遺跡も数多く遺っています。奈良時代には国府や国分寺が設置されて当時の下総国の中心として、また明治時代以降は陸軍の野砲兵連隊・国府台陸軍病院などが置かれ、軍都として栄えた歴史があります。
 千葉県内で人口五十万人突破は、千葉市、船橋市、松戸市に続き四番目で、昭和九年に当時の市川町、八幡町、中山町、国分村が合併して誕生した市川市は、じつに約九十年かけて人口五十万都市の仲間入りとなりました。
 そこで市は人口五十万人達成を記念し、市川市の広報キャラクター「いっち」と「かっち」のイラストをあしらった人口五十万人到達記念シールを一万枚作成し、市内各所にて配布したそうです。そのシールには「あなたがいるから!」との言葉が書かれています。市川市民それぞれが、五十万都市を構成している一員で、「今あなたがいてくれたから五十万という数に達することができた、誰か一人でも欠けていたら成し遂げることができなかった、あなたがいてくれてありがとう」との市民一人一人への感謝のメッセージと受け取ることができます。
 このような思いに会ったときに、私のいのちの見え方は変わってきます。視点をどこに置くかによって、見えてくる世界は全く違ってくるのです。
 私たちは時に自分をちっぽけな存在に感じることがあります。自分が世の中で何も役に立っていないような、自分と社会というあまりにも大きなものとの対比で、自分一人がいなくなっても何も変わらないように考えてしまうのではないでしょうか。市川市の五十万分の一の私と考えたら、小さな存在かもしれませんが、五十万とは私たち一人ひとりのいのちの集合体でえ、誰もが五十万というその集合体せしめているはたらきを担っているのです。そこには上も下も優劣もない、私の存在がそのままに「あなたがいてくれてよかった。あなたがいてくれることが有難い」との願いにあった時、そのいのちは誇らしく思えるのではないでしょうか。
 以前、公共広告機構のテレビCMで流れていた言葉です。

 「命は大切だ」「命を大切に」
 そんなこと、
 何千、何万回言われるより
 「あなたが大切だ」
 誰かがそう言ってくれたら、
 それだけで生きていける

 私たちは子どもの頃から、「命を大切にしましょう」と教えられてきました。それはもちろん間違いではありません。しかし、いくら「命は大切だ」と言われても、自分自身が「自分なんて必要とされていない」「誰にも大切に思われていない」と感じていたら、その言葉は心まで届きません。
 ある教育者のかたは、子どもから「どうして私は生まれてきたの?」と聞かれたら、「父さんとお母さんが結婚したからあなたが生まれたのよ」と答えるのは望ましくない、「あなたに会いたかったからお父さんとお母さんは結婚したのよ、会えてよかった」と答えてあげてくださいと、仰られていました。
 人は、「命が大切だから生きる」のではなく、「あなたが大切だ、あなたが大事なんだ」と呼びかけられることで、生きる力をいただくのではないでしょうか。」「命が」という一般論ではなく「あなたが」と言ってほしいのです。」そして、そのような言葉との出遭いを通して、実は私たちはもっと深い「あなたが大切だ」という願いに包まれて生きていることに気づかされます。
 仏教は、「あなたは、すでに大切に願われている存在ですよ」と知らせてくださる教えです。阿弥陀如来は「もし生ぜずは、正覚を取らじ(あなたを救うために仏に成る)との誓いを建て、親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と、阿弥陀如来のご苦労はすべて私一人を救うためであったと、いただかれました。どんなことがあっても私を見捨てることなく、「どんなときでも、あなたが大事、いつでもどこでも一緒ですよ」とのはたらきに出逢えたからこそ、その人生を力強く生きぬかれたのです。
 「命を大切に」と言われる前に、仏さまは「あなたが大切だ」と呼びかけてくださっています。その呼びかけが南無阿弥陀仏のお念仏となって私の人生を支えてくださっています。私自身が自分を見失っても、価値がないと思っても摂取不捨(決してあなたを見捨てない)という願いのなかに、すでにこの身は抱かれている。その呼び声に耳を傾けるところに、生きなければならないという重荷が私はすでに願われて生きているという安心へと変わっていくのです。