アナーバーの日々

ずいぶん昔のことになるが、私は客員研究員としてミシガン大学に滞在する機会を得た。日本から来た若い皮膚科医にとって、それは実に刺激的な環境だった。教室には活気があり、John J. Voorhees、James T. Elder、Kevin D. Cooper、Christopher E. M. Griffiths など、多くの著名な皮膚科医が活躍していた。

朝になるとレジデントたちが集まり、講義やディスカッションが行われた。私はその後ろの方に座り、Rasmussen 教授が Rook の皮膚科学について語るのを聞いていた。博識でありながら温かく、時にユーモアも交える先生で、教室の雰囲気はいつも和やかだった。

レジデントたちは全米各地から集まった優秀な若い医師たちで、多くは私より若かったが、よく勉強していた。ある時 Rasmussen 教授がディスカッションの途中で私に意見を求めたことがある。うまく答えられなかったが、今ではそれもありがたい思い出である。

Brian J. Nickoloff の名前も、レジデントの間ではよく話題にのぼっていた。次々と新しい概念を提示する、きわめて才能のある皮膚病理学者だという評判だった。私は乾癬のサイトカイン発現を研究する実験室にいたため直接の交流はなかったが、その独創性は広く知られていた。

Headington 教授と短い会話を交わしたこともある。付属器腫瘍の研究が日本でもよく知られていると伝えると、教授は少し嬉しそうな表情を見せられた。

同じ頃、Ken Hashimoto 先生はデトロイトの Wayne State University で活躍されていた。ある時 Wayne State とミシガン大学の合同学会があり、当時はまだ患者供覧が行われていた。患者さんとの会話や医師同士の議論の中で、Hashimoto 先生はアメリカの医師たちを相手に堂々と議論をされていた。その姿は、私にはどこか古武士のように見えた。

後に日本人レジデントとともにカラマズーのご自宅を訪ねたことがある。家の中の厚く柔らかな絨毯に感嘆したのを覚えている。

Voorhees 教授の家にも一度招かれた。おそらくクリスマスの集まりだったと思う。森の中に建つような立派な家で、絨毯はさらにふかふかだった。健康器具の置かれた部屋もあった。教授に会う時はいつも少し緊張したが、いつも温かく迎えてくださった。拙い英語の私にも奥様が優しく応じてくださったことが印象に残っている。

Elder 先生の研究室では RT-PCR などの分子生物学的手法を学び、乾癬のサイトカイン発現に関する研究に参加した。Elder 先生の丁寧な指導のおかげで、乾癬表皮における GRO-α mRNA の発現についての研究に関わることができ、その成果は1993年に Journal of Investigative Dermatology に掲載された。私自身の役割はささやかなものだったが、忘れがたい経験となった。

その後 Rajan が研究室に加わると、乾癬研究は遺伝子解析へと急速に広がり、研究はさらに活発になっていった。同じ頃、Elder 先生はヨーロッパの皮膚科医 E. Christopher と協力し、双生児研究にも取り組み始めていた。

アナーバーの生活は四季の移り変わりがはっきりしていた。冬は長く暗い。雪に覆われた静かな通りを歩いて大学へ通い、地下の研究室で一日の多くを過ごした。

やがて、ある日突然のように春が訪れる。陽射しが明るくなり、人々は薄着になって街や公園にあふれ出す。その変化がとても鮮やかだった。

秋の紅葉も印象的だった。澄んだ青空の下で色づく木々は見事だった。日本と違い、赤よりも黄色の葉が多かったように思う。渡米して初めて迎えた秋の景色を、今でもふと思い出すことがある。

ハロウィーンを経験したのもその頃が初めてだった。店の人々まで仮装をしていて、街全体がどこか楽しげな雰囲気に包まれていた。

私は文部省の在外研究員として滞在しており、Elder 先生に直接雇われていたわけではなかった。そのため昼になると研究室を抜け出し、大学近くの川辺の芝生まで歩いて行くことがあった。おそらくヒューロン川だったのではないかと思う。そこで簡単な昼食をとり、芝生に寝転んでしばらくぼんやり過ごした。よく姿を消すので、研究室のスタッフから「今日はシエスタかい」と冗談を言われたこともあった。

週末になると、川沿いや公園には家族連れが散歩に訪れていた。そこには亡くなった大切な人を偲ぶ言葉が刻まれたベンチがいくつもあった。私はそのベンチに座り、碑文を読んだり、人々の行き交う様子を眺めたりするのが好きだった。

一度、たしか Sonny Rollins のジャズコンサートに出かけたことがある。会場は Power Center だったと思うが、記憶は少し曖昧だ。そこで臨床の教授に偶然会った。アナーバーは小さな町だが、全米でも有数の文化都市で、多くの大きな公演が訪れるのだと教えてくれた。私はその話に感心したことを覚えている。

今振り返ると、これらの記憶はモザイクの小さな破片のように心に残っている。私はその場所ではほんの小さな存在にすぎなかったが、あの時間は静かな余韻を残している。皮膚科医として過ごしてきた年月の中で拾い集めた、小さな落ち穂のような記憶である。

English version:

Days in Ann Arbor