イスタンブール(EADV)・梅毒

学会の続き
◇梅毒
梅毒のセッションはどうもそれ程人気がないようです。乾癬やニキビのセッションが大賑わいなのに対して、狭い部屋でも満員にはなりませんでした。それに講師の先生はロシア、東欧、インドなどの先生が多かったです。梅毒は徐々に過去の病気になりつつあるのでしょうか。発生頻度もヨーロッパでは低下傾向で、ロシアの10代女性で増えていたもののやや頭うちのようでした。それに比べて増えているというかブラックボックスが中国で、経済力の増加、人の移動の活発化に伴って急増しているようです。タイでは同じ経済発展にもかかわらず減少傾向のようです。ただ今回はアフリカの動向は言及されなかったと思いますが、いつかキンシャサ近辺の梅毒、HIVの蔓延の報告があったと思います。サハラ以南の地は最大のブラックボックスかもしれません。国による差異はあるでしょうが、感染でのリスクファクターとして、貧困、薬物(ドラッグ)、経済の発展、人の移動の増加、国境を跨ぐような長距離トラックドライバー、CSW(commercial sex worker)、MSM(men who have sex with men)などがあげられていました。
近年の梅毒の問題はHIV/AIDSとの重複感染でしょう。梅毒に感染しているとHIVへの感染の危険性も数倍高くなるようで、梅毒患者の20%以上がHIV陽性で、ベルギーなどでは50%近くが陽性とのことでした。
講演は図や表や文字ばかりで臨床写真が一つもなかったので、絵で見る皮膚科学に頼る小生としては良く理解できず、かなりインパクトに欠けました。よほど千葉での尾上先生の性感染症の講演の方が衝撃的で有益でした。それで後は帰ってからの文献頼りです。

梅毒の全世界での患者数は1200万人ともいわれ、その90%が発展途上国です。欧米など10万人レベルの患者数ですし、ラテンアメリカ、サハラ以南のアフリカ、東南アジア、中国などは100万人を遥かに凌ぐ患者数といいます。日本での梅毒の数は諸外国と比較すると非常に少なく年間の報告数も1000~2000人程度です。しかし、梅毒も、HIVも数が増えているのは先進国で日本だけのようですから油断はなりません。
平成24年にはHIV+AIDSの累計が初めて2万人を突破したそうです。年間の報告数はHIVが1000人程度、AIDSが400人程度だそうです。感染経路は同性間の性的接触(men who have sex with men: MSM)が最も多く7割を超えています。
HIV 13913人 (男 11761 女 2152) AIDS 6371人 (男 5678 女 673)
AIDSは症状を発症した人なので実数に近いかもしれませんが、HIVは血液検査を受けなければ分からないので実数はもっと多いかもしれません。

梅毒は未治療でも2/3程度が自然治癒することが分かってきたそうです。それで感染力の強い感染後2年以内の早期梅毒とその後の晩期梅毒に分けて扱われるようです。
【梅毒の症状】
◆第1期梅毒(感染後3か月まで)
感染後3週間は無症状(第1潜伏期)、その後菌(梅毒トリポネーマ( TP: Treponema pallidum))の侵入部位に初期硬結(小さな硬いしこり、数㎜から2cm)ができ、やがて硬性下疳(げかん)とよばれる表面が潰瘍化し辺縁が隆起したしこりに代わっていきます。TPは健常皮膚からは侵入することはなく、性交時の傷などから侵入していきます。鼠蹊部などの所属リンパ節は腫れてきますが無痛性なのが特徴とされます。これらは感染後5~6週で自然に消失してしまうので気づかずにすぎてしまうこともあります。(第2潜伏期)
初期硬結は通常外陰部にできますが、口唇、扁桃、乳頭など他部位にできることもあります。(陰部外下疳)
◆第2期梅毒(感染3か月から3年まで)
局所で増殖したTPが全身に散布されさまざまな皮疹、粘膜疹を生じます。風邪様の症状を呈することもあります。
*梅毒性ばら疹・・・第2期梅毒疹のなかで最も早期に出現するものです。爪甲大で円形または楕円形のピンク色の紅斑で躯幹に多く見られます。実は長らくばら疹をみることはなかったのですが、陰部の皮疹に引き続いて躯幹のばら疹、ついで手足裏の乾癬様の皮疹をみる機会がありました。昔の日本皮膚科の基礎を築いた大先生の書いた図譜「日本病黴毒図譜 医学博士 土肥慶蔵」の説明をみたら実に事細かに正確な記載がありました。本当に側腹の淡紅斑から始まり、手足に乾癬様の発疹に発展したのです。最近の本にはこんな細かい記述はありませんので長くなりますが引用します。
「全身黴毒ノ初徴トシテ病毒ニ感染後凡ソ八週乃至十週ニシテ現ハルルモノハ扁豆大乃至爪甲大ノ紅斑(小紅斑性黴毒疹Kleinmaculoses Syphilid)ヲナシテ必ス先ツ躯幹ノ両側ニ発生シ、漸次ニ胸、背、四肢、顔面竝ニ手掌、足蹠(黴毒性鱗屑疹ノ條下参照)ニ蔓延スヘシ、其色始メハ桃紅ニ、後ニハ銅紅トナリ、終ニ稍鉛黒ヲ呈シテ消失ス、表面平滑ニシテ落屑ナク、境界モ亦明瞭ナリトス」
*丘疹性梅毒・・・ばら疹に次いで感染3~4か月後には2期疹の典型とされる丘疹性梅毒が多発します。これは大きさ、形ともに多彩で、一般に早期のものほど大型とされます。
特異型
(1) 扁平コンジローマ・・・皮膚が相接する部位、ないし湿度の高い部位、陰股部、陰嚢、陰唇、肛門周囲などでは丘疹は発育して扁平になり、表面はじくじくし分泌物で汚染され灰白色となり臭気を発します。これを扁平コンジローマと呼びますが、TPが多数で感染の危険が高いものです。(なお尖圭コンジローマはHPVのウイルスによる鶏冠様、イボ様のもので別ものです。)
(2) 梅毒性乾癬・・・丘疹性梅毒疹が角層の厚い手掌足底にできると角層が剥離して乾癬に類似した臨床像を呈します。
*膿疱性梅毒疹・・・栄養不良、免疫不全の患者に多いとされ、近年は少ないようですが、HIVを伴う梅毒患者では膿疱や深い潰瘍を伴った重症の症状が多くみられるとのことです。
*そのほかにも2期疹としては梅毒性脱毛症、梅毒性色素異常、梅毒性爪炎、梅毒性粘膜疹など多彩な症状がみられるとされます。それで、この時期の皮疹をgreat imitatorと呼ぶそうです。すなわちいろいろな他の疾患に似ていて臨床診断が難しいという意味です。この時期7割の患者に多彩な皮膚症状が出現しますが、なかには皮膚の症状を欠く場合もあります。
梅毒の臨床診断は難しく、そのことが念頭にないとなかなか診断できません。船橋皮膚科医会の西山先生の講演でも度々梅毒は出てきますが、えーというものばかりです。それでも「これはなかなか判らないでしょうね。」といわれた時に真っ先に考える鑑別疾患だということが判ってきたので次第に当たるようになってきました。そのほかにはハンセン病、皮膚結核など昔の病気も外せないことも解るようになってきました。(しかしこれでは単なるやま勘にすぎませんが)
ただ、梅毒の皮疹はいずれも痒みがないことが特徴です。そしてもし皮膚生検できればプラスマ細胞の浸潤を認めることが多いです。

◆第3期梅毒(感染後3年から10年まで)
結節性梅毒疹、ゴム腫(皮下の硬い結節、潰瘍)・・・現在の日本の教科書ではまずみられない皮疹です。土肥慶蔵の図譜には多彩な皮疹の絵が見られます。抗生物質の登場でほぼなくなったものが、HIVの登場でまた復活し、深い潰瘍、神経梅毒をみるといいます。
◆第4期梅毒(感染後10年以降)
心血管梅毒(大動脈炎、大動脈瘤など)、神経梅毒(脊髄癆、進行麻痺など)がありますが、これらは現代においてはまずみることはないということです。
但し、HIVを伴う梅毒患者ではいきなり神経梅毒になることもあるそうで注意が必要です。日本国内でも梅毒患者の25%がHIV感染を合併しているとのことです。

【梅毒の診断】
以前から梅毒血清反応が用いられてきました。カルジオリピン・レシチンを用いる脂質抗原法(serologic tests for syphilis: STS)と梅毒トリポネーマ抗原法(TPHA, FTA-ABSなど)・・・これらの組み合わせによって梅毒の罹患、治癒判定がなされますが、これらの判定には検査技師の判定を必要とします。それで近年は自動分析装置が導入されてきているそうです。しかし治癒判定には従来、STS、TPHAの値をみて判断されてきたのでスクリーニングには利用できても従来の方法もまだ必要な状況です。感染直後は抗体価が陰性の期間があります。感染後1週間でFTA-ABSが、約2週間でSTSが、約1か月でTPHAが陽性になるとされています。
梅毒の診断はマニュアル通りで比較的簡単ですが、治癒判定は意外と厄介です。STSは治療と臨床経過を鋭敏に反映して低下していき、初期の症例は1、2年で陰性化します。しかし、感染後2、3年も経過した例では抗体価は低下しても陰性化しません。(serofast reaction)
またTPHAなどのトリポネーマ抗原法では早期梅毒でもまず陰性化しません。ドクターのなかでもこの陳旧性梅毒のTPHAの高タイターをもってペニシリン治療を行うことがありますが、TPHAは梅毒治療のモニターにはなりえないことを知る必要があります。
また生物学的偽陽性(Biological False Positive: BFP)といって高齢者、妊婦、膠原病、肝疾患、HIV患者などでは梅毒ではないのにSTSが陽性になる場合があります。逆に前地帯現象(prozone phenomenon)といってRPR,VDRLの値が著明に高値の場合に判定が偽陰性になる場合があります。
特にHIV患者の場合は梅毒血清反応の偽陽性、偽陰性、serofast reaction例が多くみられるとされ、治癒判定に困難なケースが多いそうです。講演当日もHIV重複感染例でいくら治療しても一向に抗体価が下がらないといった質疑もありました。

【梅毒の治療】はペニシリン系薬剤が第1選択薬です。投与直後にJarisch-Herxheimer反応といって中毒疹様の発疹がでて、発熱などの全身症状を伴うときもあります。薬剤によってTPが死滅するときの反応とされていますが、治療前に前もって伝えておく必要があります。
梅毒の薬剤耐性菌の問題はたまに報告されますが、淋菌などと異なって現在のところまず問題はなさそうです。

日本の梅毒、HIVの問題点は、
*性活動の低年齢化、十分な感染防御知識の欠如
ある統計では1984での高校3年生の性交渉の経験率は男性22%、女性12.2%であったものが、1990年代中旬ではその比が逆転して、男性37%,女性46%という数字が出ていました。
これをみると性感染症のリスクは対岸の火事、遊び人だけの問題と片付けられないことがわかります。
また、オーラルセックスも口腔内の病変が見過ごされやすいために近年問題となっています。若者などオーラルセックスでの感染性を知らない場合もあり厚労省も性感染撲滅キャンペーンでこのことを強調しています。コンドームなどのセイファーセックスを周知する必要性があります。
*HIVの治療法の進歩により、以前よりHIV感染症に対する危機意識が低下してきたこと、またマスコミの報道、関心度もやや低下傾向にある
(1997年から導入された多剤併用抗HIV療法(Highly Active Anti-Retroviral Therapy : HAART)によりHIV感染者の生命予後は劇的に改善し、ちゃんと治療すれば慢性病としてとらえられるようになったことは良いことですが、)
*学校教育の現場でも社会一般でも性教育、性の問題をオープンにできにくい風潮がある国民性
などが指摘されています。

参考文献
立花隆夫:皮膚科セミナリウム 第74回 性感染症 1 梅毒
斎藤万寿吉:                   2 HIV/AIDS
日本皮膚科学会雑誌:121(7),1389-1400

柳澤如樹、味澤 篤: 現代の梅毒 モダンメディア 54巻2号2008

岡本昭二: 日本皮膚科学会前実績研修講習会必須Bコース STD
日本皮膚科学会専門医委員会刊 1991年度

梅毒図譜土肥慶蔵 著 の日本皮膚病黴毒図譜の復刻版
第100回日本皮膚科学会の記念刊行物として発行.原本は明治36年に上梓された.
写生図は土肥氏同郷の画家伊藤有氏が描いたもので、後に北村教授が「これ等写生図にはカラーフィルムでは出ない独特の真実性がある」と賛辞を惜しまなかった、とある.
黴毒性潰瘍(護謨腫)、輪状丘疹黴毒、黴毒性鱗屑疹、黴毒性手掌鱗屑疹、爪甲炎及爪縁炎、
文身者ノ丘疹性黴毒(朱染ノ部位ニハ発疹セズ)・・・水銀(赤色硫化汞HgS)がTPの発生を抑えていることを示している
黴毒性紅斑丘疹及白斑、黴毒性薔薇疹と50表の中で、梅毒が何と8表を占めていて、いかにこの時代に於ける梅毒の重要性が高かったかがわかる.当時は皮膚科学ではなく、皮膚病花柳病学と呼ばれていた.その後皮膚科性病科学、皮膚科泌尿器科学を経て現在の皮膚科学に変遷している.ちなみにヨーロッパでは現在もEADVで、dermatologyとvenereologyが並列して名称として使われている.venereologyとは性病学のこと.

土肥慶蔵
土肥慶蔵は1866年、越前福井武生の生まれ。15歳で上京し、東京大学からドイツ留学.外科を研修中に文部省より皮膚科学習得を命じられ、ウイーン大学モーリッツ・カポジに師事.ランゲより黴毒学を学んだ.1898年に帰国後東京大学皮膚病黴毒学講座を主宰する.明治34年から昭和2年まで一貫して日本皮膚科学会の会頭を務め、日本の皮膚科学の基礎を築いた.ムラージュを導入して伊藤有に制作に当たらせた.
文芸、漢学にも秀でていた.皮膚病の病名が難しい漢字が多いのも、彼の漢学の素養のせいかとも恨めしく思うことあり.