再びリマへ

フリアカ空港から再びリマへ戻りました。高地から低地に戻ると思っただけで、気持も楽になります。今回の旅は天候に恵まれました。ナスカは5月になると霧がかかり易く、セスナで飛んでも何も見えないこともあるとか。マチュピチュでは夜ザーザー降りになりましたが、昼間は晴れました。ここでも見学中に突然降りこめられることもあるとか。チチカカ湖も寒さと風に震え上がるケースもあるとか。全てクリアーして順調なツアーでしたが、数名の人がお腹をこわしてしまいました。小生もそのうちの一人でしたが、疲労、高度で抵抗力が弱っていると生もの、水など要注意だと再認識しました。 リマでは昼は新市街の高級住宅地にある中華レストラン(目の前には街のど真ん中にゴルフ場がありましたが入れるのは白人のみとか)、夜は洒落た海上レストランとペルーの最後を飾るように豪華な食事でしたが、お腹をこわした小生はお料理を横目で見ながらもっぱらお茶とスープをすすっていました。 午後は歴史的建造物が多い旧市街のアルマス広場周辺を見て回りました。かつてフジモリ大統領もいた大統領官邸。カテドラルの端では結婚式の最中でした。サンフランシスコ教会の古い図書室は重厚なものでした。これらはピサロが初めに基礎を造ったものといいます。最後にラルコ・エレラ博物館を見学しました。インカはペルーの歴史のほんの一時期ということがわかりました。いろいろな文明が交代しながら紀元前から高度な文明を形成していたようです。特に北部のモチェ・シカン・チムーなどの土器、黄金などの金属器などには目を見張るものがあります。日本人の学者も発掘、研究に寄与したとのことです。 ガイドさんの話では、ペルーは国土も大きく、山の水は豊富、鉱物資源も世界有数、アルパカ、更に上をいくビクーニャの毛織物など世界が注目するなど今や南米一の経済発展率とのことです。しかし、貧富の差は激しく、一部富裕層は一生働かなくてもいい位の財をもち、また一方では地方から貧民が都市の周りに流れ込み掘立小屋などを作って生活しているとのことです。一番の問題は人だといっていました。旅行中にKEIKOという看板を多数みましたが、昨年の大統領選に出馬した、ケイコ・フジモリのものだったようで地方ではかなり人気があるようでした。フジモリ元大統領は在任中の人権侵害事件で禁固25年、現在服役中とのことですが、地方の寒村にフジモリが作ったという、小学校、病院、道路・橋などを多くみました。またリマのテロ撲滅にも功績があったそうです。政治家は毀誉褒貶が付きまといますが、いくつもの学校をみて感じるものがありました。 たまたま来日しているウマラ大統領の記事がありましたが、日本は200億もの円借款を表明して北部古代遺跡の観光振興に当てるそうですが、フジモリ氏の恩赦については「公式な申請はまだなく、政府として公式な見解は示せない」と書いてありました。 ペルーはリマのような大都会もあれば、アンデスの高原では昔と変わらない生活があり、とても一つの国とは思えないような多様な国でした。小生とすればできればワスカラン山岳地帯にもいってみたかったと思いました。チチカカ湖の朝焼け.jpgサンフランシスコ教会.jpg大統領府.jpgKEIKO.jpg騎馬隊.jpg人物像.jpgお面.jpg飾り物.jpgくじら.jpgはちどり.jpgキープ.jpg海上レストラン.bmp

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