初登攀行 松本竜雄 著

唐突なようですが、小生の若かりし頃の山への憧れの中で、多く影響を受け、もう山に登らなくなっても心のどこかに引っかかっている本の一つです。
コロナで散歩する位の運動しかしなくなってなまり切った体でもどこかにうずうずとする青春の山への渇望を思い起こさせてくれます。その本を久しぶりに紐解いてみました。
序は小生の畏敬する上田哲農による推薦文、解説は雲表倶楽部の先輩で日本で初めて埋め込みボルトを制作した望月 亮氏によって書かれています。そこには当時の登山界、彼らの立ち位置などが簡潔に書かれていますのでその概略を記します。
「彼は同じ都立本所工業高校の同窓生でもあり、雲表倶楽部に遅れて入会してきた。昭和30年当時は学校山岳部が主流であり、いわゆる街の山岳会は傍流、低迷期だったが、学校エリートの極地法の登山に対し、厳冬期における3000メートル峰の登攀、より困難な岩壁登攀を目指す機運が芽生えていた。入会後メキメキ頭角を現した彼は32年小生(望月氏)の作成した埋め込みボルトを使って谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁正面の初登攀を成し遂げ人工登攀の幕開けを先導した。この時期精力的な初登攀を行い、谷川、穂高に数多くのルートを開拓した。また厳冬期の穂高の継続登攀も敢行した。さらなる高みを求めて第二次RCCの一員としてカフカズ、パミールの山々も目指した。」とあります。
小生が山に目覚めたのは昭和40年代で大部後になりますが、谷川、穂高、剣など彼の登攀記録も憧れの一つだったように思われ、当時の山好き、特に岩登り愛好者が辿った道のその一部にでも触れたことで、更に臨場感をもって本の内容が迫ってきます。
第一部の高みへの序曲では、氏が岩と雪に憑かれるようになった経過が述べられています。入会後、一ノ倉沢の単独行を重ねていましたが、しばらく続けるうちに未知の滝沢に目を付けました。中でも出色なのは滝沢の積雪期第2登で、下部のオーバーハングが雪で埋まる4月を狙って雪崩を避けて右岩稜にルートをとりました。夜行列車で到着後、夜明けとともに攀り、日没と同時に登攀を終了し、月明かりの雪稜を下った、とあります。残念ながら積雪期の滝沢の初登攀はほんの1週間前に吉尾 弘らによってなされていたのですが、それは本谷通しでした。自分らは雪崩を避ける的確な雪稜、岩稜をとったので、雪崩の危険を避けた的確なルート選定による成功で単なる僥倖ではなかったと述懐しています。
第二部 初登攀行では本の表題ともなった数々の登攀が述べられています。そのほとんどが1958年(昭和33年)に集中しており、その中に日本での人工登攀の歴史を塗り替えたともいえるコップ状岩壁での埋め込みボルトの使用、緑山岳会との初登攀争いの顛末も書かれています。当時一般マスコミでも取り上げられるほどのニュースだったそうですが、実は彼自身は安易なボルト使用には反対で、その岩壁の弱点をついたクラシックなルート選定にこだわっていたようです。単なるアブミの架けかえによる岩登りはアルピニズムの堕落と主張しています。昭和33年の初登攀では年間最多数で、しかもその中にはコップ状岩壁をはじめ、冬の谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁、中央稜、無雪期の谷川岳一ノ倉沢滝沢第2、第3スラブ、穂高滝谷C沢右俣奥壁と日本の最難関の壁の初登攀を成し遂げています。
第三部 新しい困難を求めて
更に困難な登攀の可能性を求めて、冬の穂高屏風岩から北尾根、四峰正面、前穂への継続登攀を敢行し、一ノ倉沢コップ状正面岩壁の冬季初登攀も夏同様に緑山岳会と共同で成し遂げました。氷壁で立ったままのビバークの記述は壮絶です。一ノ倉沢の最後の課題とされる衝立岩正面岩壁も完登しました。
そんな彼もしばらくのブランクの後、RCCⅡ同人たちの誘いをうけ、日本の岩場のグレード・ルート図集の編集に参画し、またカフカズ(コーカサス)山群へその活動の場を広げていきました。

同時代に貪欲に初登攀に命をかけた岳人は彼の他にも多数いたでしょう。中でも衝立岩の南博人、吉尾 弘氏などの記録は瞠目すべきものがあります。吉尾 弘 著 「垂直に挑む男」は丁度松本氏と重なり合うような初登攀の記録や継続登攀の記録に溢れています。
その吉尾氏も滝沢リッジで帰らぬ人となりました。

彼らの青春の記録を読み返しているとまるでその場にいるような、ドキドキ感、高揚感を感じさえします。若い頃の著書ゆえに、高揚し、時には直情的な記述もみられますがそれもかえって山に向き合う真摯なひたむきな真情を伝えてくれます。
山登り、特に岩登りに興味のない人にとっては訳のわからない本でしょうが、興味ある人にとっては心躍る読み物だと思い、お勧めの本です。

追記
特にコップ状岩壁は小生が初めて先輩に谷川岳に連れて行ってもらい、烏帽子凹状岩壁からの継続登攀し、C沢右俣奥壁では次々に降り注ぐ落石をかいくぐりながらの登攀、中央稜での雪の敗退など心に残るものがあり、何度読んでも心惹かれます。