単独登攀者アレックス・オノルド

アレックス・オノルドを知ったのは三省堂書店をブラブラしていた時に偶然山書コーナーに積んであった本「Alone on the Wall」という本の表紙のオーバーハングに命綱も付けずに取りついていた一人の若者の写真に瞠目させられたからだった。
最近はあまり山の本も読まないのだが、吸い寄せられるように手に取って購入した。
本を読んでヨセミテやアンデスの岩壁、氷壁を登った記録にもびっくりしたが、挿入された絶壁やさらにオーバーハングした岩に素手で取りついている写真にも衝撃を受けた。こんな人って実際にいるんだ、あり得ない思いだった。
Ueli Steckの時もそうだったが、この人はあまりにもありえなさすぎると思っていた。
しばらくして、また山の本をめくっていたら、単独登山者を特集した本の中にアレックス・オノルドの映画「フリーソロ」の案内記事がでていた。新宿ピカデリーの上映はすでに終わっていたようで、先日柏の映画館まで見に行ってきた。
ヨセミテのエル・キャピタンの1000m近くに及ぶ絶壁を命綱なしでフリー・ソロで登った記録映画だった。衝撃のドキュメンタリーで全米でも空前絶後の観客を動員し、新記録を達成し、エミー賞、オスカー賞、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲得している。まさに圧巻のドキュメンタリー映画だった。
ヨセミテ国立公園はサンフランシスコから車で約4時間、ロサンゼルスからは約6時間の距離にある。エルキャピタンやハーフドームといった花崗岩の岩壁を擁して米国のロッククライミングの聖地ともよばれるところだが、森林や豊富な動植物もみられ、人気のアウトドアの観光地でもある。
かつて2度程訪れたが、家族を伴って行ったことでも思い出深いところでもある。流石にエルキャピタンは目を見張る岩壁だったが、登ろうとさえ思わなければ威圧感、恐怖感は起きない。
アレックス・オノルドは1985年生まれの青年で、本の中で幼少時からの生い立ち、単独登攀者としての岩への履歴が語られている。一寸風変わりで、子供の頃から岩に親しんでいたようだが、友人の話では”ださくてまわりにうまくなじめないやつ”との人物像だったという。どちらかというと内気だが一貫して成績優秀でカリフォルニア大学バークレー校に入学している。工学をやろうと漠然と考えていたが、大学になじめずに離婚した父の死をきっかけに退学してしまった。そして母親のミニバンを借りてカリフォルニア中の岩場をクライミングしてまわる放浪生活を始めた。クライミングの中でもフリーソロが一番性に合っていたようで、ヨセミテなどで次々に困難なルートを達成し命知らずのフリーソロクライマーとして全米でもその名が知られるようになってスポンサー契約の恩恵にも浴するようになっていった。本の中では、ムーンライト・バットレス、ヨセミテ・トリプル、アラスカとセンデロ・ルミノソ、フィッツ・ロイと続き、「フィッツ・トラバース」に対しては2015年のピオレドール賞を受賞している。
そして本の最終章は「さらなる高みへ」で終わっている。この本が2015年の執筆で、映画の本番の撮影が2017年6月だからまさにさらなる高みへの挑戦の記録だったわけである。
本の中でも、クレイジーという評価や最高級の賛辞まであるものの、アレックスよ、無茶はするなよ、どうか死なないでくれという、クライマー、友人たちの声も垣間見られる。
この映画についての彼の講演動画がYouTubeにあり、簡潔に自身のクライムについての説明があった。
「10歳の頃にジムでのクライミングを始めたが、10年近くはもっぱら屋内だったこと。2008年までにヨセミテで行われたフリーソロのほとんどをやり尽くし、未踏の壁への挑戦を考えた。最初に挑んだのがヨセミテ渓谷の東端に聳える600mの壁ハーフドームだった。2日前に友人と登り、その後単独フリーで登ったが一番の難所を避けて迂回するルートを辿ったが、途中行き詰って、パニックに陥りそうになった。この成功は初の偉業と称えられたが、たまたまうまく切り抜けられただけで満足できなかった。幸運だのみではなく、真の究極のフリーソロとしてエル・キャピタンを登ろうと決意し、それに向けて7年間にわたり何度も何度も準備を繰り返した。ロープありで50回以上は登った。300mのロープを頂上から垂らして一日中練習してムーブが自動的にできるまでに練習した。ロープありと無しでは基本的な動作はそれ程違わないが、精神的な平静を保ち最高の力を出すにはある種の境地が要求される。それを視覚化してイメージトレーニングした。
特に地上から600mのところにある「ボルダープロブレム」というところが最難所だった。かすかに指が下向きに引っかかるコバを支えに、左脚を空手の蹴りのように岩角の内側に伸ばすところで、1年間毎晩のストレッチをしながら練習した。(実際の映像ではロープを付けながらも失敗して落下するところもあった。本番では撮影クルーの友人はこの場所では直視できずにカメラから眼を背けてしまっている。)
2017年6月3日は壁を見上げて自信を感じた。前回まよい手こずって敗退した地上から150mのところも過ぎて、疑念なく練習した通りの完璧なムーブで登っていった。ボルダープロブレムも練習通りの動きができた。最後は崖を飛び交う鳥の声を楽しんでいた。全てが祝福のように感じられた。3時間56分の素晴らしいクライミングの末に頂上に辿り着いた。それは望んだ通りのクライミングで究めたという感覚があった。」
彼は本の中でいう。「ぼくに才能があるとしたら間違いが許されない状況でも自分を保っていられる能力だと思う。深呼吸し、心を落ち着かせて、何とか切り抜ける方法がなぜか身についているのだ。(中略)ソロのシンプルさが好きだ。ソロで登っているときがいちばんうまく登れる。ソロで一番危険なのは迷いが生じるときだ。」
映画クルーはプロのクライマー、カメラマンでドローンや超望遠などを駆使しながらアレックスの邪魔にならないように配慮しながら撮っている。それでも先に難所での葛藤に触れたようにある意味で彼の最期をカメラにおさめるかもしれないドキュメンタリーに挑んでいる。恋人との葛藤、アレックスの地球環境保全への取り組み「オノルド基金」などにも触れている。単なる登攀のドキュメンタリーではなく、アレックス・オノルドという青年の生きざま、人生観も映し出している。
山に興味のない人、彼の生きざまに肯定的にならない人でも深く人生というものを考えさせるドキュメンタリーと思われ、幾多の賞を獲ったことが首肯できる絶品だった。