横浜の学会で

最近、学会の楽しみの一つは皮膚科の道を歩いてきた一流の人の物語を聴くことです。

同じ皮膚科の道を歩んできながら、とても真似ができないなと感心したり、やはり成程と納得するようなエピソードが聞けたりします。学会ですから皮膚科学の話が中心になるのは当然でしょうが、専門の話は右から左に抜けてしまっても、苦労話や面白い逸話は結構記憶に残っていたりします。単に脳みそが老化してだんだん難しい話についていけなくなっただけかもしれませんが。

【その1】
横浜の日本皮膚科学会総会での川島 眞 先生の会頭講演は2年越しの先生の思いのこもったものでした。2年前に会頭として開催準備をしていた最中にまさかの東日本大震災が起きてしまい、断腸の思いで開催中止を決断されたのでした。第110回総会は誌上開催となり、今回は112回会頭で結果として、近年には稀な2回の会頭となりました。「いま望まれる皮膚科療」をテーマにしたそうです。

「近年のさまざまな治療法、治療薬の登場は、皮膚科診療を飛躍的に進歩させたのは間違いありません.しかし、患者さんに100%の満足度を与えられていないとすれば、我々に何かが足りないのであり、それは患者さんの心の問題に対するもう一歩の思いやりではないでしょうか? 皮膚科診療を完成させるための必要な療の重要性を強調したいと考えています.」と挨拶文で述べています。

川島先生は大学卒業後の足跡をたどりながら会頭講演を進められました。かつて、千葉で東日本支部総会があった時、フランス帰りの若き川島先生が、颯爽としていぼウイルスの遺伝子の型分類の講演をされたことを思い出しました。帰国後東大に戻ったもののしばらくたってから教授から女子医大への転任を勧められ、肥田野教授の元に赴いたそうです。そして、若くして教授に就任されました。

先輩の先生から、「川島君、私大の教授ならば、専門的な狭い分野の研究ばかりではなく、多くの患者を診療しなきゃだめだ、アトピーなどやりなさい。」というような示唆をうけたということです。その後、アトピーのバリア障害やセラミドの研究、心理面の研究、掻破行動の異常、アトピービジネスへの警鐘、抗アレルギー剤のEBM の研究などを進めてアトピー性皮膚炎の治療に努めてきたことなどを話されました。スマートな先生と思っていましたが、結構いろいろと御苦労があったのだと感じました。かつてのアトピー性皮膚炎に対するステロイド剤使用について、ステロイドバッシングの激しい一時期がありましたが、金沢大学の竹原先生とともに、広く前面にでて、適正治療を先導して来られました。そのためか今でもインターネットの2チャンネルではT原、K島という名前に対し物騒な書き込みがあると話されていました。ステロイドに限らず、クスリは基本的にリスクです。正確な知識を持った医師が使わないと毒にも薬にもなります。やはり正確な知識、情報の共有、伝達が必要と思いました。 現在東京女子医大はアトピー性皮膚炎の適切な治療を先導するトップリーダー的病院になっています。また女子医大というだけあって、美容にも造詣が深い大学です。

【その2】
 普段は皆見省吾記念賞受賞記念講演など聴かないのですが、今回は会頭講演に引き続き聴いてみました。この賞は皮膚科学会で最も権威のある賞です。難しそうで敬遠していたのですが、今年は山梨大学の川村龍吉先生の講演でした。
[Severe dermatitis with loss of epidermal Langerhans cells in human and mouse zinc deficiency]
たまたまでしょうが、座長が日皮会理事長の山梨大学島田眞路教授で受賞者が同教室員、そして、島田先生が最年少の受賞者で川村先生が最年長の受賞者だということでした。内容はやはり難しいので臨床皮膚科の先生の論文の要約を拝借しました。

要約 先天的な亜鉛欠乏症に伴う皮膚炎,すなわち腸性肢端皮膚炎の発症メカニズムは長らく不明であった.亜鉛欠乏は細胞性免疫ならびに液性免疫を著明に低下させるため,これまで亜鉛欠乏に伴う皮膚炎は何らかの感染症により引き起こされると推測されてきた.しかし,最近この皮膚炎の本態が実は一次刺激性接触皮膚炎であることが示唆された.亜鉛が欠乏すると,一次刺激物質との接触により炎症起因物質:アデノシン三リン酸(adenosine triphosphate:ATP)が表皮細胞から多量に放出される一方,ATP不活化作用を有するCD39分子を発現する表皮内Langerhans細胞が著明に減少する.このため,亜鉛欠乏症では一次刺激物質によって大量の細胞外ATPが表皮内で誘導され,一次刺激性接触皮膚炎が惹起される.すなわち,亜鉛欠乏患者の口囲や外陰部,四肢末端に生じる皮膚炎は,それぞれ食べ物やし尿,生活環境物質などにより引き起こされた一次刺激性接触皮膚炎であると考えられる.

要するに、亜鉛が欠乏すると、口や外陰部などの開口部での種々の刺激でATPが表皮細胞から大量に出て、Langerhans細胞が消失し一次刺激性の炎症を起こすことを見出した、ということのようです。島田教授の得意とする免疫細胞の基礎的研究から、臨床的な疾患の原因につながり、これが日本人の手で原因が究明できたのが素晴らしいと思いました。まさに研究のための研究ではなくて、病気の解明のためになる意義のある仕事をこつこつと長年やってきた先生は素晴らしいと感じました。
この亜鉛欠乏症は、人工栄養の乳幼児や、栄養不良の高齢者にたまに見受けます。(栄養の知識が進んだ現在は少ないですが、たまに経口からの食事のできない点滴だけの高齢者にも起こりますので、注意が必要です。特徴的な開口部のびらんと、血中亜鉛の測定値で診断はつきますが)
 古くから、皮膚科医はこういう糜爛面に亜鉛華軟膏、ホウ酸亜鉛華軟膏を使ってきていましたが、川村先生は経験的にこれは亜鉛の補充になり適切な薬であり、あらためてみなおすべき良い薬だと述べていました。

【その3】
もう一つは、イブニングセミナーの「第3回マルホ賞受賞記念講演会」で、東北大学名誉教授の田上八朗先生の講演でした。
生体皮膚での角層機能研究―とくに角層水分含有状態計測法の開発を中心として―という演題でした。

これも詳しいことはよく理解できませんでしたが、半世紀前から角層のバリア機能は経表皮水分喪失量で測定されていたそうです。先生は1980年伝導度あるいは電気容量の測定で生体皮膚表面の水分含有状態の計測を可能にしました。その後この測定機器は改良され、世界的に普及したそうです。
当初、皮膚科での反応は今一つで、化粧品業界からの評価が高かったといいます。
現在では化粧品やスキンケア製品の開発、一般店頭での皮膚の計測に幅広く使われていて、なくてはならない機器でありながら、そのルーツがここにあることを知っている人はほとんどありません。敬意を込めてその名前だけでも覚えておきたいものだと思いました。
その研究のきっかけは先生が京都大学の太藤教授から米国ペンシルベニア大学への留学を勧められKligman教授に師事したことに端を発するとのことです。米国では監獄や老人ホームに行って、皮膚の水分蒸散や種々の計測をさせてもらったなどと懐かしそうに苦労話をされていました。(太藤病のブログのところで書いたお弟子さんの中でもピカ一の先生といっても良いかもしれません。かつて米国の学会で乾癬のセッションで堂々と外国人と渡り合い、しっかりした英語でディスカッションする姿を目にして驚くとともに、勝手に日本人として誇りに思ったことを記憶しています。)
帰国して、京都大学から浜松医科大学に移り、そこで、静岡大学の高周波回路の専門家一条文一郎教授の器械から角層水分量を測れることを発見したそうです。
こんな器械を発明しながら特許は取っておられません。さしずめ米国ならば今頃億万長者でしょうが。
このような機会でもなければもう引退した先生の講演も聴けないだろうと名残惜しい感じがしました。