白洲正子展に行ってきました。

「白洲正子 神と仏、自然への祈り」を観てきました。砧公園の一角にある世田谷美術館で生誕100年特別展として開催されていました。当日は春の陽ざしが穏やかな日曜日の昼下がりで公園内は青々と茂った若葉の木々の下で家族連れなど多くの人々が休日の憩いを楽しんでいるようでした。
「この展覧会では仏像・神像を始めとした国宝や重要文化財がいくつも並んでいて、滅多に東京では見られないような西国の寺社所蔵の作品が並んでいました。・・・展示は随筆家の白洲正子を主人公として、彼女の西国の寺社巡りを追っていくという趣旨となっています。各作品の前に原稿用紙のようなものに、白洲正子が書き残した感想?のような文があり、当時の想いがわかるようになっています。」(関東近辺の美術館めぐり~美術・美景・美味を楽しむブログ~より引用)
 小生は、仏像にも白洲正子にも疎いのですが、それでも西国のどちらかというと鄙びた、素朴な感じの作品群の観賞は心を落ち着かせ、自然信仰に根ざした古代の日本へ回帰させるような不思議な空間・時間を過ごせました。かつて琵琶湖北面をめぐる十一面観音や円空の木像をみて竹生島を辿るツアーがありましたが、それらの像も彷彿とさせるものもありました。
 東京オリンピックの年に正子はその喧騒に背を向けるかのように西国巡礼の旅に出かけるのですが、途中の山の上から新幹線が駆け抜けるのを見やりながら、「お前は最新の物だと誇らしいだろうが、すぐに壊れてしまう、それに比べればこの大和の自然・文物・文化は千年・二千年の長きに亘って続いているのだ、ざまーみろ」といったような感想を述べた一節があったように記憶していますが、現在の地震・津波・原発災害を目の当たりにすると、何か物事の真髄をついているように思えるのです。
 戦後の日本はアメリカ型の文明をモデルとして必死で追い付け、追い越せと頑張ってきたように思えますが、これを機に一部ヨーロッパ、北欧が目指している様な、あるいは古来の日本の自然を畏敬しつつ、調和のとれた新たな文明へと転換していかなくてはならないのではないかと漠然と思いました。それを生かしてこそ幾万の犠牲者も報われるのではないかとも思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)