飛鳥

年末に奈良に行ってきました。今回の目的地は飛鳥です。2人乗りミニ電気自動車のミチモに乗って史跡を巡ってきました。
高松塚古墳キトラ古墳などの壁画をみたり、石舞台や飛鳥寺、聖徳太子誕生の地といわれる橘寺などを回りました。明日香村は「日本の心の故郷」といわれ、日本で唯一全域が古都保存対象地域だということを後で知りました。どうりで回っていても高層ビルやネオンなどの近代建造物は見当たりませんでした。古墳の近くを歩いていると雑木林の中にこんもりとした小山があったり、畑や田んぼがあって、当日が今にも雪でも降り出しそうな肌寒い日で、観光客がほとんどいなかったこともあり、まるで古代の景色もかくや、と思われるような感じがする処もありました。万葉人も同じ景色を見ていたのでしょうか。
蘇我馬子の墓といわれる石舞台は何十トンもの石が載せられていて、その権勢を誇っていたのが偲ばれるようでした。
その後に訪れた飛鳥寺は蘇我氏の氏寺で本邦最古建立といわれる飛鳥大仏(釈迦如来坐像)がありました。寺は何度も焼失しましたが、大仏は建立当時からその同じ場所で1400年もの間座しておられるとのこと。鼻筋はすーと高く通っており、インド、西域の仏像を彷彿とさせるようでした。
天皇の外戚として、権勢を誇った蘇我氏も乙巳の変で、入鹿が中大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足らによって暗殺され滅亡しました。飛鳥寺の近くの田園の一角には入鹿の首塚が寂しげに立っていました。その後大化の改新で新しい時代に移っていきましたが、天智天皇の没後、壬申の乱でその子、大友皇子は追い詰められ自死して果てました。そして天智天皇の異母兄弟(所説あり)の大海人皇子(のちの天武天皇)の世へと移っていきました。「中大兄皇子と藤原鎌足はここの蹴鞠の場で出会い、645年に大化の改新をなしとげた。この時、二人はこの飛鳥寺に陣をかまえた。672年の壬申の乱の折には広場を軍隊が埋め尽くした。」と寺の説明板にありました。びょうびょうと寒い風が吹く首塚の近くから寺を見遣るとまるで兵士たちのざわめきが現実のもののような気さえしました。ここで芭蕉をもじるのもどうかとは思いますが、「冬枯れや 兵どもが夢の跡」という感慨がありました。 幾多の皇子たちが歴史の表舞台から消え去りながらも国のかたちは整っていったのでしょう。
帰り道奈良へ向かう車窓からみる大和路は四囲をなだらかな山波に囲まれながら広く平らな地でした。まさに やまとは国のまほろば と感じました。

追記
昔、高校の国語の先生に教えてもらった大津皇子の悲話はずっと心に残っていて、いつか二上山に行ってみたいと思いつつ今回も果たせませんでした。またいつか訪れてみたいと思っています。(家人にはそこにいって何があるのといわれ、確かに今はピクニックコースで何もないかもとは思いつつ)。
過去に 「花の百名山 田中 澄江」(2012.8.13)として当ブログに書いていますので、詳しくは書きませんが、興味ある方は読んでみて下さい。
皇子の姉の大来皇女がその死を悲しんで詠んだうたをあげます。

うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む