タイトジャンクション物語

近着の皮膚病診療に 追悼 橋本 健 先生  橋本 健先生の「声」へのお返事:横内麻里子 久保 亮治
という記事がありました。
「皮膚バリア、最近の進歩ーケルビン14面体モデルー」(皮膚病診療:39(8);808~813,2017)への橋本先生の質問の回答でしたが、橋本先生はその後お亡くなりになったため、同誌編集委員長の斉藤隆三先生が橋本先生の奥様の了承のもとに掲載された追悼文を含めた記事でした。

 ケルビン14面体モデルによるタイトジャンクション(TJ)構造、ターンオーバーの機構の解明は横内先生の皆見賞受賞となり、当ブログでも取り上げています。(2017.6.29)。また久保先生のTJを含む皮膚バリアの総説も取り上げました。(2016.3.27)
それで、その機構については簡単に触れるに留めます。表皮は角層の下に3層の顆粒層があります。顆粒層の細胞を外側からSG1,SG2,SG3と名付けるとTJはSG2同志が接着する面の上側(apical)に存在します。
橋本先生の質問は著者(横内ら)がみたZO-1(TJ裏打ち蛋白質)の角質細胞の形態は私(橋本)がかつて報告した電顕の所見と同一であり、辺縁に二重にみられた線は重層した上の細胞の圧痕ではないか、特にZO-1が共存してもしなくても形態的な構造ではないか、という主旨のもののようでした。著者らは数十年も前に明確かつ子細な電顕構造を指摘し、角層下の顆粒層に’tight’な細胞間接着構造があり、そこに物質の浸透をブロックするバリア構造があると結論付けされた橋本先生の先見の明に敬意を表しつつも、細胞が垂直に重なった圧痕ではうまくTJの分化が進んでいかない理由も述べています。
著者らはTJの研究の歴史について、古くは19世紀末のケルビン卿の14面体の提唱、1976年のAllenとPottenの角層細胞の14面体形態の報告、1986年ZO-1、1993年occludin、1998年claudin-1というTJ蛋白の発見がありこの分野のサイエンスが進歩し、その積み重ねの上に得られた結果であることを述べています。

橋本先生は電子顕微鏡の分野では世界的大家で、我々が学んだLEVERの皮膚病理組織の教本の電顕部分は橋本先生が担当されました。長年米国で活躍され、お弟子さん達も日本から多く先生の許へ留学されました。小生がかつてミシガン大学に短期間いた時に先生はデトロイトのウエイン・ステート大学皮膚科のチェアマンでした。ある時ミシガンとウエイン・ステートの合同研究会があり、そこで堂々と講演されたり、米国人と対等に討議されている様を間近にみて、古武士のような風格を感じたことがありました。日本人でもすごい人がいるものだと感嘆したことでした。お宅にお邪魔した時は、しかしにこやかで(緊張して何を話したか覚えていませんが)、立派な邸宅のフカフカした絨毯に日本の住宅事情との違いに驚いたことを覚えています。この投稿をみるとお亡くなりになる直前まで現役として研究されていたということになります。偉大な皮膚科学者に哀悼の意を表します。

もう一人、忘れてはならない人がいます。かつて講演で久保先生が自分の生涯の恩師であると話された月田承一郎先生のことです。どんな人かどんなことをした人なのか気になって先生の本をもとめました。
「若い研究者へ遺すメッセージ 小さな小さなクローディン発見物語」という確かにわずかに93頁の小本でした。しかし中身は凄い、小さなどころか、偉大な本でした。早逝(52歳だけどそうといってもいいか)した天才の研究に捧げた人生のエッセンスが凝縮したものを割と淡々と記した本でした。表紙の帯には「亡くなるひと月前に遺した渾身の書下ろし」とありました。
灘高、東大出のエリートながら立身出世ではなく純粋に科学を愛し、同じ研究者である奥様と共に、タイトジャンクションの命題を解決していった経過が書かれていました。当時大変な流行になっていた細胞間接着分子カドヘリンの周辺を研究のターゲットにしたといいます。細胞の接着複合体(小腸上皮)はアピカル面からtight junction, adherens junction (cadherin), desmosomeがみられることが分かっていました。皆が「カドヘリン山」を目指すのならば、人も金もない貧乏旅団ならば、一ひねり二ひねりしないと目立った研究は出来ないと考え、「単離接着装置」をラットの肝臓から得て、「カドヘリン山」からはずれた分団の蛋白質群の解析に向かったそうです。そこでみつかった分子量220KDの抗原がカドヘリンの裏打ち蛋白質と想定していたところ、実はcDNAを単離してみたらZO-1と同一なことが分かったそうです。ここにTJの裏打ち蛋白質であるZO-1が沢山あるなら、この分画はTJの研究にも使えるぞ、との閃きから研究が進展していったそうです。
当初ラットの「単離接着装置」を抗原にして、モノクローナル抗体をマウスでとっても、ZO-1のみしかとれませんでした。これは種が近すぎるからとの考えで(また材料の肝臓が小さな動物ほどきれいな単離装置がとれる)、種の遠いヒヨコで行ない、また膜蛋白質だからと少量のSDSという界面活性剤を混ぜて実験したところ、見事TJから膜蛋白質を単離することに成功しました。そしてTJすなわちzonula occludensからこのたんぱく質をオクルディンと名付けました。
(ちなみにこの実験を担当した古瀬さんはJCB誌上でTJのブレイクスルーと絶賛されたそうですが、日本での評価は低く、日本学術振興会の特別研究員に落ちたそうです。カドヘリン発見者の竹市先生は彼我の目利きの差に嘆き激怒されたそうです。)
その後ヒトのオクルディンの発見への苦労、たまたま院生がコンピューターホモロジー検索から類似アミノ酸配列をみつけて、同定に至ったとのこと。しかしオクルディンをノックアウトしても予想に反して立派な上皮ができ、TJストランドも形成しました。実験を遂行した斎藤さんは「オクルディンをノックアウトしただけではなく、僕たちのオクルディンストーリーまでノックアウトしてしまった。」と揶揄されたそうです。本物は他にいる、挫折しそうになりながら「真の幻のTJ内在性膜蛋白質」があるに違いないとしてまた研究を進めていきました。
またしても古瀬さんのアイディアで普通に抽出できるものを抽出しきって駄目なのだから、最後の不溶物の中に真の物質があるだろう、との想定でその中からオクルディンと同様な挙動をする分子量23KDの膜貫通蛋白質を同定し、クローディンと命名しました。これは強力なTJストランド形成能力を有し、TJを持たない線維芽細胞でもこれを導入するとTJストランドを発現しました。その後クローディン遺伝子ファミリーの発見など研究は進展していきましたが、最大の山場は乗り越え、比較的安全な将来が見渡せる高みに到達していました。
ところが残念なことに、これらの発見からほどなくして、月田先生はすい臓がんに侵され、余りにも早い人生の最期を迎えてしまいました。いかに無念だった事でしょう。そしてこの本が人生最後のメッセージとなったわけです。
しかしTJの分野で分子生物学のバイブルのような教科書に名を残せた事は本当に幸せだったと述懐されています。
この本は題名に「若い研究者へ遺すメッセージ」とあるように志ある若い研究者にお勧めしたい本です。

横内先生の投稿をみて、その本題から一寸ずれたかもしれませんが、関連する事を書いてみました。