先天性表皮水疱症の先進治療

先日の日本皮膚科学会総会での印象的な講演の一つ。
かつて当ブログにも書きました。大阪大学玉井克人先生の講演です。
「皮膚臓器の広がり:皮膚から骨髄へ、骨髄から皮膚への時空的広がり」

会頭の秀 道広先生の考えられた会頭特別企画の一つです。会頭の思い入れのある特別な企画と感じました。
もう一つの演題の、慶應大学の久保先生のタイトジャンクションの話も素晴らしいものでしたが、こちらは昨年の仙台での講演内容を書きましたので省略。
玉井先生の講演、時々見聞きするものの、じっくり聴いたのはかつて先生が千葉に来られて講演をされて、感激してブログにアップして以来です。(2012.2.27 表皮水疱症 参照)

先天性表皮水疱症(epidermolysis bullosa: EB)とは、皮膚が一寸した外力でずる剥けになり、水疱、びらん、潰瘍を作る先天性の病気のことです。
それを説明する前に、皮膚の簡単な構造をしることが重要です。
分かり易く例えれば、皮膚の表面は表皮という、薄い掛布団で覆われています。その下に基底膜というシーツがあります。その下に真皮という敷布団があり、これらは接着ノリのような様々な分子で密着していて、正常ならば簡単に剥がれません。
ところがEBの患者さんは掛布団、シーツ、敷布団のいずれかの接着の機構に異常があり、剥がれやすいのです。
現在では、免疫学、分子生物学の発達により、その異常をきたす分子異常、接着の機構がほぼ分かってきています。
(単純型、接合部型、栄養障害型、キンドラー症候群に分けれますが、詳細は成書や日本皮膚科学会ホームページの皮膚科Q&Aや難病情報センターの資料をご参照下さい。)

玉井先生は若い頃に弘前大学の恩師、橋本 功先生の薫陶を受け、EBの研究に目覚め、世界的な大家のUitto教授の門をたたきました。1991年に同研究所の同僚がその中の1つの型である栄養障害型の原因が表皮基底膜と真皮を繋いでいる稽留線維のⅦ型コラーゲンに異常があることを発見しました。玉井先生は留学中はBP230という別(水疱性類天疱瘡)の水疱症の抗原の研究をしていたものの、大きな結果を見出せなかったそうです。それでも帰国後もずっと表皮水疱症の研究を続けていたそうです。
そして、2006年にノックアウトマウスを使って骨髄移植でⅦ型コラーゲンの欠損したマウスにⅦ型コラーゲンが表現できることを見出しました。これは画期的なことでした。
早速、外国で実際の患者さんに骨髄移植がなされ、患者の寛解に至った例も報告されたのです。しかしながら、重篤な感染症や、移植後の白血病で死亡した例も報告されました。
先生は、より安全な方法を模索して、骨髄移植に際し、GVHD(移植片対宿主病)を発症し易い造血幹細胞を取り除き、間葉系細胞のみを骨髄から選択的に取り出して、患者に移植する方法を確立すべく奮闘中とのことでした。

ここまでは前回2012年の講演内容ですが、着実にその歩みを進めて、実際の患者さんに適応する段階まできていることを報告されました。
マウスによる実験から、以下のことがわかりました。
1)剥離表皮内の壊死組織から放出される核内蛋白high mobility group box 1(HMGB1)の血中濃度の上昇によって骨髄内間葉系幹細胞が活性化され、末梢循環に出現する。
2)病変部周辺の血管内皮細胞が低酸素刺激に応答してケモカインを放出して、間葉系幹細胞を病変部に引き寄せること。
3)この幹細胞は低酸素刺激や炎症性刺激に応答してTSG-6,IL-10などの抗炎症分子を放出し、さらに表皮角化細胞や真皮繊維芽細胞への多分化能を発揮すること。さらにこれらは基底膜へのⅦ型コラーゲン供給能を有すること。
以上の結果から、他家骨髄間葉系幹細胞が表皮水疱症の難治性皮膚潰瘍の治療に有効である予想がたてられました。それで、劣性栄養障害型表皮水疱症患者を対象として、健常成人家族(患者の両親または兄弟姉妹)の腸骨から骨髄血20mlを採取し、患者潰瘍部周囲皮下に培養間葉系細部50万個を2cm間隔で移植しました。1年後の評価で潰瘍の閉鎖が確認され、一部ドナー細胞由来の細胞の定着がみられ、Ⅶ型コラーゲン蛋白、稽留線維の増加が観察されました。
これらの結果から他家骨髄間葉系細胞製品の開発にとりかかっているとのことでした。
具体的にはJCRファーマ株式会社が開発した他家間葉系幹細胞製剤JR-031を難治性皮膚潰瘍周囲に皮下移植するという治験が進行中とのことです。
順調に推移すれば、先天性表皮水疱症の患者さんの難治性潰瘍の治療に大きな光明が見出されるかと思われます。

当日の講演では1枚の写真を示されました。その中に玉井先生と一緒に弘前大学の恩師橋本先生、米国留学先のUitto先生、大阪大学の金田安史先生も写っていました。金田先生は遺伝子の研究の門をたたいた時、1,2年の研究をする人は一杯いるが10年続ける人はそういない(やるならその覚悟でやりなさい)といわれたそうです。(記憶違いかもしれないけれどそういった内容だったような・・・)
また端っこには慶應の久保先生も写っていました。確か雪の中を検体をもって遠く大阪から弘前まで届けにきた話をされていました。 まさに時空を超えた研究者の繋がりを感じさせる写真でした。
そしてもう1枚の写真。生まれた時から先生が付き合ってきたEBの患者さんとの写真。ずっと先生を信頼してついてきてくれた患者さんですが、最近有棘細胞癌のために亡くなられたとのことでした。彼のためにもさらに研究を続けて良い治療をみつけていかなければいけない、とその情熱は並々ならぬものを感じました。