アトピー性皮膚炎と大気汚染

先日の広島の日本皮膚科学会総会の演題で一寸興味を惹かれたこと。

初日にあった講演で皮膚科の中で最も権威があると言われる皆見賞受賞記念講演と、皮膚科で長年の功績があった人に贈られるMaster of Dermatology (マルホ)賞の受賞記念講演があったのですが、2演題ともにaryl hydrocarbon receptor(AhR)という聞きなれない、というか初めて聞くような難しい名前のついた講演でした。
別に示し合わせてAhRを選んだ訳でもないのでしょうが、聴いてみるといずれも大気汚染、公害などに重要な役割をもつ物質のお話で重箱の隅をつついたような学者バカの話ではなく、広く実社会にとって必要な研究であることがわかりました。

まず、皆見賞講演は、
The aryl hydrocarbon receptor AhR links atopic dermatitis and air pollution via induction of the neutrophlic factor artemin 日高 高徳(東北大学)
という演題でした。
以前から大気汚染とアトピー性皮膚炎の患者数、重症度には相関関係があることが知られていました。近年は中国でもアトピー性皮膚炎が急増しているそうです。その患者数と大気汚染のマップを重ねると驚く程一致しているそうです。すなわち揚子江流域の内陸部、北京周辺、上海周辺の工業化の発展している地域のアトピー性皮膚炎の罹患率の多さが際立っています。
演者らは大気汚染物質が転写因子AhRを活性化させることで神経栄養因子arteminを発現させ、皮膚表面の表皮内への神経が伸長して過剰に痒みを感じやすい状態を作り出すことを解明しました。
過剰な痒みによって皮膚を引っ掻く⇒皮膚バリアが破壊される⇒皮膚から多くの抗原(ダニ、花粉、食物、化学物質などなど)が侵入する⇒Th2型のアレルギー反応が起きる⇒TSLP, IL33, IL4などが活性化される⇒アトピー性皮膚炎が悪化する⇒さらに引っ掻く・・・デフレスパイラルが起きる
演者らはAhR活性化マウス(AhR-CAマウス)を用いて上記の仮説を実証しました。マウスにアーテミン抗体をを投与すると表皮内への神経伸長も、痒みも減少しました。
またディーゼル排気に含まれる大気汚染物質を正常マウスに慢性的に塗布するとAhRが活性化され、AhR活性化マウスと同様に皮膚炎を起こしました。
将来的にはアーテミンやAhRをターゲットとした創薬が期待されるとのことです。

続くマルホ賞講演は
Aryl hydrocarbon receptor 研究による社会貢献
――油症および炎症性皮膚疾患の治療―― 古江 増隆 (九州大学)

カネミ油症事件は1968年に発生しました。米糠オイル(ライスオイル)の製造過程で、脱臭加熱のために用いられたPCB(ポリ塩化ビフェタール)が、オイルの中に混入し、それを知らずに購入、摂取した人たちに発症したダイオキシン類中毒です。
古江先生は東大卒業後、山梨大学を経て1997年九州大学教授として九大に赴任し、カネミ油症と出会ったとのことです。
それまではほとんど油症の知識がなかったものの、多くの患者さんの診療、検診を受け持ち油症の研究の中心研究者となっていきました。

油症はダイオキシン類およびPCBによる複合中毒症です。ダイオキシン類は多くの種類がありますが、大きくわけると、最も毒性の強いTCDD(エージェントオレンジと呼ばれ、ベトナム戦争時に散布された枯れ葉剤に含まれていた成分)と化学構造や毒性の類似しているPCDD(ポリ塩化ジベゾパラジオキシン類)、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン類)、DL-PCB(ダイオキシン様ポリ塩化ビフェニル)の3種類があります。
現在では419種類のダイオキシン類が確認され、内訳はPCDDが75種類、PCDFが135種類、PCBが209種類となっています。
その毒性はTCDDの毒性を1とした相対比(TEF: toxic equivalent factor)で定義されます。
残念ながらカネミ油には毒性の強いTEF0.3のPCDFが大量に含まれていました。
油症の特徴的な症状としては、黒色面皰、顔や爪の色素沈着、マイボーム腺からのチーズ様分泌物、眼瞼結膜、眼球結膜の色素沈着、手足のしびれ、筋肉痛、月経周期異常、関節炎、下痢、脱毛などがあります。また頭痛、咳、痰、全身倦怠感などを訴える人もあります。
発症から数十年も経過した現在でもPCDFの残留濃度は高いままだといいます。
発症当時はダイオキシンもPCBという概念もなかったそうですが、皮疹がどうも塩素ざ瘡に似ているとして、1年以内にPCBの混入にはないかと推定され、原因物質の特定へと繋がっていきました。
当時は測定機器も、手段もなかったものが科学技術の発達で測定できるようになっていきました。1990~2000年代のことでした。血液10㏄で血中ダイオキシン濃度が測定できるようになり、新たな診断基準が作成され、科学的な基準で患者認定ができるようになりました。
ダイオキシン類による事件・事故は他にもあり1976年 イタリア ミラノ近郊のセベソの化学工場の爆発、1979年の台湾の油症事件、1999年のベルギーの家畜農場での事故などがあります。また2004年にはウクライナ大統領候補のヴィクトル・ユシチェンコが何者かにダイオキシンを盛られてダイオキシン中毒を発症した事件もありました。
古江先生は九州大学に赴任後、2001年からは全国油症治療研究班長を務め、2008年からは九州大学病院油症ダイオキシン研究診療センター長兼任、油症の研究を本格化していきました。
2000年代に入ってからダイオキシンの作用はAhRという受容体と結合することで作動することが解明されてきました。AhRを欠損したマウスではダイオキシンの毒性は発揮されません。2007年に来日したかつての恩師、NIHのカッツ教授、東大の玉置先生との会談で「今一番力を入れているのは油症のAhR研究で、将来治療法を生み出せるかもしれない」と述べています。そして「それはよい仕事をしている。」と非常に喜んでくれたと述べています。

皮膚は体表内外の様々な化学物質を感知するAhRを豊富に保有して、ダイオキシン、紫外線クロモフォア、植物由来物質、微生物物質などに適応しています。AhRは酸化ストレスと抗酸化防御という相反するシグナルの分水嶺としてして働き、これに作用する創薬が油症の治療にも役立つと思われました。しかしながら新たな薬剤の開発は膨大な資金と労力を要します。それで研究班はAhRに作用し抗酸化作用のある植物由来物質を含む多くの漢方薬を臨床試験していきました。そして麦門冬湯、桂枝茯苓丸などが油症患者の症状を軽減することを明らかにしました。アーティチョーク、ウチワサボテン、ドクダミ等も抗酸化作用があるそうです。
桂皮(シナモン)は東南アジアなどで比較的安価に入手できます。同地域で散発するダイオキシン被害にも役立つのではないかとのことでした。
さらに、AhRはダイオキシンだけではなく、角化バリアを担うフィラグリンやその他の表皮分化蛋白の発現を亢進させる主要なシグナル経路であることから様々な炎症性疾患の新規治療開発の一領域を担うとのことです。またAhRは発がんや免疫細胞の抑制の鍵ともなっており、現在では非常に注目されている領域となっているそうです。

古江先生は「教授就任当時は、患者団体から治療法がないことを責められ、重責に苦しみました。でも、やるべきことから逃げず必死で向き合ったおかげで、今は患者さんから感謝の言葉をいただき、AhRという素晴らしい研究領域にも巡り会えました。恩師2人のあの夜の励ましは、私にとって忘れられません。」と「私の仰ぎ見る医師」の中で述べています。