後藤純男展

後藤純男展に行ってきました。 妻がかつて富良野の後藤純男美術館に行き、感銘を受けたことがあり、自身でも興味をもち、秋の紅葉をあしらった寺院の絵の小品を贖い季節になると観賞していました。この度横浜のそごう美術館で後藤純男美術館15周年記念と銘打って後藤純男展が開催されているというので行ってみました。  それまでの小生の後藤画伯の絵画に対するイメージは桜と紅葉とお寺の絵だけでした。 入館して、まず北海道の山、冬の景色のコーナーがあり、その迫力に息を飲みました。人を寄せ付けないような黒々とした冬の層雲峡の岩壁を氷点下の中で写生したといいます。画伯は現場主義で写真は撮らないのだといいます。アトリエからの十勝岳連峰の大きな絵には更に惹きつけられました。精緻な細部までを書き込んだ雪をまとった山々、山の中腹から山麓への針葉樹の木々の表象がモノクロのトーンながら素晴らしかったです。写実だけではなく、実際は見えない視点からの作者の心象風景も書き込んであるとのことです。しばらく行くと冬の知床半島を描いた絵もありました。宇登呂か岩尾別辺りからのものでしょうか。羅臼から硫黄山さらに半島の先への知床連山でしょうか。冬のオホーツクの海から屹立しています。まさに地の果ての、しかも冬の厳しさの中での絵は心打つものがありました。冬の北海道の山は知らないのですが、山の好きな小生には素晴らしい、いつまでも見ていたい作品群でした。 しばらくして、後藤純男美術館館長である行定俊文氏(後藤純男氏の娘婿)による解説・案内がありました。十勝岳連峰の絵の前で後藤氏自らの挨拶がありましたが、80歳を越えて足腰が弱ったためか、車椅子での登場でした。しかし、その絵にかける情熱は並大抵のものではなくて、「ここに展示してある絵の一つとして満足しているものはありません。一つ一つに加筆したい気持ちはいっぱいですが、80歳を越えては無理です。せめて60歳だったらと、」繰り返し述べられました。芸術家というものは、どこまでも貪欲というか、完璧というものはないのでしょう。画伯は挨拶の後、退席されましたが、氏の写真を撮りたくて後を追いかけました。外に出られたのかと思いましたが、別のコーナーである絵に見入っておられました。西安の郊外の鄙びた山村の絵でした。お孫さんに車椅子を押してもらいながら遠くを見るような、懐かしむような眼差しでお二人で時折お話などされていました。お邪魔するのも失礼かと思いましたが、近づいていったら、見ず知らずの小生に説明して下さいました。西安の南には秦嶺山脈というのがありましてね、一日中ずっと越えて行ってある山村に着いたのです。これはその山村での絵です、云々と。そこには緑豊かな古い農家のある長閑な風景がありました。このような風景も開発の波が押し寄せ、現代の中国では急速になくなってきているとのことです。以前旅行で一寸立ち寄った西安と敦煌のおぼろげな記憶で、西安から西はもう砂漠ですよね、などといい加減なことをいうと、氏はいやそれは何百キロも先です。敦煌からトルファン、ずっとそれから先もっと素晴らしい所が一杯あります、とおっしゃいました。今は西安の大学で画学生を教えているそうです。日本画の源となる中国への恩返しの気持ちがあるとのことです。平山郁夫画伯もそうですが、仏画を描く絵の大家は中国へ、西域へと回帰していくのでしょうか。 厚かましいかと思いましたが、館内での撮影はご法度とのことで、外まで同行して戴き写真を撮らせてもらいました。 後藤画伯は千葉県野田市の真言宗住職の子として生まれ、13歳から僧侶としての修行を始めたそうですが、幼少より絵を描くことが大好きで、22歳の時、院展に初入選したそうです。当時、教職にあり、仏道の修行中の身であったのを、父の「どうせ苦労するなら好きな道でしろ」との言に後押しされて、画業に専念するようになったといいます。そして、仏道を断念した思いがずっと尾を引いていて、敢えて明るさを押し殺したような峻烈な色調、題材の絵を描いてきたといいます。そういう目でみれば、代表ともいえる大和の寺院風景も単に写実というよりも、荘厳さ、山門に在りながら、撥ねつけられるような厳しさを感じるのは気のせいでしょうか(漱石の門を思ってしまいました。) しばらく行くと眼にも鮮やかな紅葉に溶け込んだような寺院風景が描かれた大作がありました。解説によるとこのような絵を描けるようになったのは、画伯が大病を病んで日野原先生のおかげで九死に一生を得て、無事快癒した後からとのことです。死の淵から生還して人生観が変わって生をありのままに受け入れて、リラックスして美しいものもそのまま描けるようになって、その後鮮やかな色彩を使った絵を描くようになったとのことでした。それまでは人生の喜び、楽しみは封印されていたのでしょうか。吉野の中千本の山一面を埋め尽くしたような山桜もはっと息を飲むような美しさでした。近年は桜の樹の勢いが衰えたのかこのような美しさはもう見られなくなったとのことです。 モノクロのような峻厳な世界を越えた所の極彩色の世界があるから余計その美しさが際立つように思われました。 中国を題材にしたものでは、雲海黄山雨晴という、横14mにも及ぶ大作は見ごたえがありました。画面右の方ではまだ雨が降っていますが、左の方へ進むと次第に雨もあがり、陽光が岩壁に差し込んでくる様子が何とも素晴らしいでした。あたかもビバークの朝の太陽の恵み、生の息吹を感じさせてくれる光景を思い浮かべてしまいました。黄金色に映えた紫禁城の絵も素晴らしいものでした。
現代の大家ともいえる画伯ですが、絵画にかける情熱は若者のようでしたし、尊大な風もない真摯な一画人でした。素晴らしいひと時を過ごすことができました。 後藤純男展1.jpg後藤純男展2.jpg後藤純男展3.jpg

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