中原寺メール6/25

【住職閑話】~富士山
 このたび、富士山が正式に世界文化遺産に登録されてよかったですね。
それに美保松原も含まれることになったとのことで、関係者はことのほか喜びが大きいようです。そして名称は、文化遺産としての性格がよりわかるよう、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」となったと聞きます。
 多くの日本人は何処にいてもそこから富士山が見えると、「あ、富士山だ!」と目をやりますし、指を指します。何度見ても特別のようです。
 「美人は三日で飽きる‥」とことわざにありますが、富士山の美しさは見飽きることがありません。その美しさは人間が作ったものでなく大自然が生み出した「美」であるから、人間の手垢のつけようのない「霊峰」とか「神秘」としかいいようのない山の心(魂)みたいなものを感じるからなのでしょう。
 日本には古来から山岳信仰といって高く険しい山に対して畏怖するという感情があり厳しい自然環境に圧倒され、人間を超えた何か(神や霊魂)が山に宿るという意識が生まれました。噴火をしたり、土石流や森林火災を発したりする自然界の驚異がそこに生活する人々に絶えず不安とおそれを与えてまいりました。
 そうした感情は恐怖からくる畏敬(おそれ敬う)の念いとなって山岳信仰を生み出したのです。
 近頃、三浦雄一郎さんが最高齢でエベレスト登頂に成功しましたが、きっと自らの願いを達成するには心の中でのさまざまな葛藤があったと思います。
 人間はもともと自然を征服するなどありえません。富士山も長い間の地殻変動を経ているからこそ、今誰からも美しいと思われる姿を私たちに見せてくれているのです。
 「ふるさとは遠きにありて思うもの‥」(啄木)の句ではありませんが、美しいものは遠くから眺めてこそ真に美しいと考えます。
 富士山の頂上に登ったことがない私の思いです。