中原寺メール2/25

【「ゼロ」の発見】
 ちょっと小難しいと思うかもしれませんが、できれば次の言葉遣いを一緒に考えてみて下さい。
 誰でも物事に行き詰まりを感じたり、閉塞感を打破したいときに、「イチから出直す」といいますね。しかしどうやら「ゼロから出直す」というのが正しいようです。
 それを思ったのは新聞記事に載った「司馬遼太郎」(1996年2月12日没)の仏教についてのこんな言葉からです。
 『仏教というのは基本的には「空」であるという。「空」というのは、数学でいう「ゼロ」という意味がいちばんわかりやすいのではないでしょうか。数学のゼロは、プラス一億もマイナス一億も同時に入っているものですから、無限に入っているものが同時に無限に生み出す元だということで、「空」という思想が、数学の「ゼロの発見」と同時に大いに発達したのではないでしょうか。「空」はすべての元であり、すべてを生み出す。「ゼロ」こそすばらしい、光に満ちているということなのです。』(司馬遼太郎対話選集4)
 「空」というとなんだか難しいように思ってしまいますが、「存在するものには、実体としての自我などはない」ということです。だから、とらわれの心がないこと、になります。
 だから「イチ」からとは、過去を引きずってしまっているし、自らのレッテルを貼ってしまっているから、固定した観念がすでにあるということになります。
 虚心坦懐(きょしんたんかい)といいますが、空=ゼロとは心に何のわだかまりもなく、そうした心で物事に臨めば、無限に生み出す新鮮な光の世界が開かれるのです。
 仏教のいう「空」を数学の「ゼロ」で説明してくれた司馬遼太郎は、さすが仏教に深い造詣をもっていた人だと改めて感心しました。
 「空」を説かれた釈尊はいインドでさとりを開かれたし、数学の「ゼロの発見」はインド人だそうですよ。

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