中原寺メール 2/1

【前住職閑話】
 1月13日から9日間の日程でインドへ3回目の旅をしてきました。
仏蹟、つまり仏教が生まれたところ(ブッダガヤー)、その教えが初めて説かれたところ(サルナート)、霊鷲山(釈尊が説法された聖地ラージギール)、ナーランダ(最も栄えたかつての佛教大学)等、2度目の聖蹟巡拝でした。
そしてこれら釈尊の聖地である州は「ビハール州」といい、サンスクリット語の「ビハーラ」ということだと聞いてとても嬉しくなりました。
ビハーラは僧院、寺院あるいは安住。休養の場所を意味します。現代では末期患者に対する仏教ホスピス、または苦痛緩和と癒しの支援活動をいいます。
 そこで偶然出会った一人旅の40代の女性。聞いてみれば船橋市に在住の方、10月に夫を亡くし、傷心の身を携えながら何かに導かれるようにこの聖地に来たといいます。
 しばし同じテーブルで夕食を共にしながら、人生について、死について、仏教について語らう中で、彼女は時に涙を浮かべながらインドへ来てよかったと、その眼は澄んで顔は清らかに安らいでいました。
 しかし帰国したその日から、連日ニュースはイスラム国の人質事件です。ビハーラどころか憎しみと殺し合いの人間世界の愚かな悪業の連鎖に、生きることの苦しみを深く感じます。
 釈尊の言葉、「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。」を繰り返し味わっています。