名古屋の思い出

名古屋の学会での特別講演2は2008年ノーベル物理学賞受賞、名古屋大学特別教授の益川敏英先生の「現代社会と科学」という講演でした。
 当初、話を聞いていて、話は結構あちこちに飛ぶし、滑舌も決して良いとはいえない講話で、おやおやどうなるのだろうと思いながら聞いていました。
終わったあとも、まあ、それなりに面白いけどテレビのインタビュー同様お茶目な先生だな、くらいの印象でした。
 でも、さすがにきらりと光る名言が散りばめられていました。日を追うごとにというのはオーバーですが、真髄をついた言葉はやはりただ者ではないと思い知らされました。
そのいくつかを・・・

*ファーブルの本を読んでいて、パスツールとのやりとりの部分に言及されていました。
ある時期、ヨーロッパでは、蚕の病気が蔓延し絹織物産業が大打撃を蒙りました。当時の医学研究者であるパスツールに問題の解明の命が下り、彼はファーブルを訪ね蚕についての基礎知識を得たそうです。ところがパスツールは蚕の繭のなんたるかさえ知らなかったそうで、ファーブルは大層驚いたそうです。しかし、パスツールは基礎知識を欠きながらもその病因にせまり、蚕の微粒子病の病原体を発見してしまったそうです。
ここで、上の例を引いて益川先生は眼でいかに詳細に見ていてもことの本質を見ていないと問題の解決には至らない、ような話をされました。ファーブルは蚕のことは微細に観察し、知っていました。しかし、問題の解決はできませんでした。逆にパスツールは蚕のことはほとんど知りませんでした。しかし、現象の本質が見えていたということでしょう。
これは、科学者だけではなく医学者にもいえることかもしれません。眼で見えてはいるけれどもことの本質が見えていない、ということはよくあります。いわゆる「見れども見えず」であったり、眼が「ふしあな」だったりすることはよくあります。

*ノーベル医学賞の中山教授のiPS細胞について、われわれはヒト細胞の多機能性、多様性に眼を見張りますが、益川先生は人間の細胞、仕組みは意外といい加減なものですね、神様もアバウトに作ったのですかね(とはっきり言われたかは定かな記憶はありませんが),素粒子の世界ではこういうことはありません。もっときっちりとしています。・・・というようなことを話されました。
成程、こういう捉え方もあるのかと眼からうろこでした。
小生などは、偉い先生が書いた本だとか、教科書は金科玉条のように押し頂いて免疫細胞の流れなど必死に覚えようとするけれども、本当のところ体の中では図表に描いた通りの流れが公式のように起こっているわけではないでしょう。3次元の体の中で、4次元の時間を経て、ダイナミックな動きが起こっているのでしょう。これはまた一人一人で異なることと思います。人間、生物の多様性、どう反応するかわからない’いい加減さ’に繋がるものと思います。
ヒトの細胞の動きや、癌細胞の動き、細菌やウイルスの動きなどをみていると、学者が新説を唱え、首根っこを捕まえたかと思うとウナギのようにぬるりと逃げられたようなことが結構あるように思われます。
生物のこの多様性というか、ある種の’いいかげんさ’はまた新たな発見や面白さにもつながるのかもしれません。

*また学生教育の話題に触れられました。京都大学での学生が研究室に入ってくると全員を一つの大きな部屋に押し込めて皆で切磋琢磨させるのだ、とおっしゃっていました。
1年もすると見違える程成長すると。それは他の学生と議論することもあるし、また他の学生が夜遅くまで勉強して帰らないと、一人だけ帰ってしまう訳にもいかず、一日中勉強するようになる、と。確かに鉄は熱いうちに打て、というのはそうなのでしょう。

これらの話は、むしろ若い医学者にとって非常に示唆に富んだ話だと思います。流石にもうこの年になると素晴らしい話だとは思っても 「馬の耳に念仏」、時すでに遅し、です。せめて若い医学者に先生の話を聞いてもらって、発奮し世界に羽ばたいて貰いたいと思った次第でした。
時には別な世界の人からこのような高邁な話を聞くのも新鮮で、考えを活性化させてくれていいものです。

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