大震災から半月ーーー中原寺メールより

以前、市川市国府台に住んでいました。ご近所に中原寺があり、ご住職の平野俊興師にはいろいろとお世話になっていました。その後ご住職とは千葉に移り住んだ今でもご懇意にさせていただいています。師は浄土真宗の僧侶ですが長年死刑囚の教誨師を務められています。また物質的には豊かになったけれども、却って精神的に不安定になった現代の我々に向けて定期的に中原寺メールで、心に響く言葉を発信されています。日本中が困難な時期に仏教徒ではなくてもその言葉に触れてみては如何でしょうか。直近のメールを書き写してみました。
【住職閑話】~大震災から半月~
  東北関東沖大震災から半月がたちました。毎日その被災状況や、今までになかった原発火災による不安の増大で、気持ちが落ち着かず不安定になっています。
 長期化する不安な暮らしにどう対処したらよいのか、被災者とどうむきあうことが大事なのか、これといった考えが浮かばない今の状態です。
 言葉では支え合い助け合うといっても、何か空々しいのです。東北の大地と葛藤しながら生きた宮沢賢治の有名な詩が頭の中を駆け巡ります。

「雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ(中略)東に病気の子供があれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き (中略) 褒められもせず 苦にもされず そういうものに わたしは なりたい」

 この詩とともに宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」「よだかの星」には生きていくうえの「憂い」と崇高な「死」というものについての考えが内在されているように思えます。
 宮沢賢治の根底には仏教信仰があります。仏教は慈悲を説きます。
 「慈」はすべての人々に友情を持ち助けることであり、「悲」は人生の痛苦に呻き声をあげることであるといわれます。
 「がんばれ!」も大切なのでしょうが、どうしていいかわからず悶々とすることに決して意味がないとは思えません。必ず時間の経過とともに何かを見出し、新しい芽が生み出てくると信じます。
 みなさんはどうお考えですか?

 中原寺メールは2週間ごとに配信されます。中原寺のリンクを作っておきましたのでご希望の方はホームページから受信してみて下さい。
http://www.chugengi.jp

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